山田家は、戦国時代末期に十右衛門が、小早川隆景(毛利元就の三男)の家臣・堅田元慶に仕えたことに始まり、江戸時代には五右衛門が萩藩の重臣・堅田就政の家臣になり、戸田に居を構えました。 その在郷住宅である山田家本屋は、江戸時代中期の建築と推定され、かつては戸田の山陽道沿い(現、湯野温泉入口の西)に建っていました。その建物は、茅葺で263.76平方メートル(82坪)の広さで、15部屋もあるという大きな平屋建てでした。 書院造りの中門にあたる部屋は、母屋から庭に突き出し、その内部には、霊舎の間、局の間、奥の間、仲間部屋、化粧部屋などがあり、台所まわりのむしろ天井、中二階の隠し部屋、座敷の刀隠しの引き出し、外からは開かない回転式の雨戸など、室町時代の武家屋敷の趣と民家風の素朴な構えをあわせもっています。 この建物は、昭和39年6月に所有者の山田家から市に寄贈され、昭和40年6月に旧屋敷の6割が毛利町に移築復元されました。そして平成15年9月に堅田家とゆかりのある湯野の地に再び移築復元されました。なお山田家本屋は、昭和30年1月に当時の山口県指定文化財保存顕彰規定による指定を受け、次いで昭和41年6月に山口県文化財保護条例による最初の有形文化財に指定されました。
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