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熊毛方面の文化財

印刷用ページを表示する更新日:2017年5月10日更新 <外部リンク>

55.大蔵経(だいぞうきょう

大蔵経
大蔵経とは仏教の経を一堂に集めたものをいいます。円照寺第12世住職愍順和尚は篤学の人で、明治24年(1891)に村民の浄財を用いて購入した、1916部、8534巻もの経本です。

所在地:八代2313(下魚切)※円照寺
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56.木造聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)坐像

木造聖観音菩薩坐像
安国寺の境内にある高寺観音堂に祀られた、行基菩薩作という聖観音像です。周防三十三観音霊場の第10番目札所に定められ、霊験あらたかな観音様として信者の参詣が絶えません。20年ごとに開帳されます。

所在地:原(太刀野)※安国寺
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57.新畑神舞(しんばたかんまい

新畑神舞
熊毛神社と人丸神社の祭礼に奉納される神楽舞です。白衣に馬乗袴をはき、五色のたすきをかけて鉢巻をしめて舞い、はやしは笛や太鼓、鉦を用います。

所在地:呼坂(勝間上)※熊毛神社
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58.木造大日如来坐像等

木造大日如来坐像
熊毛神社のそばにかつてあった神光院の仏像です。明治初期の神仏分離令によって寺は解体され、その本尊である大日如来像他諸仏像や涅槃画(ねはんが)、大般若経が残されています。

所在地:呼坂(勝間上)※熊毛神社
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59.吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地
安政6年(1859)吉田松陰が、萩の野山嶽から江戸に護送される途中、弟子の寺嶋忠三郎と師が無言の別れを告げた場所です。師弟それぞれの思いを詠んだ歌碑が建てられています。

所在地:呼坂(西町)
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60.呼坂(よびさか)本陣跡

呼坂本陣跡
山陽道呼坂宿において、参勤交代の大名などの休憩・宿泊の場所でした。天明年間(1780年代)から河内家が本陣を引き受け、宿泊した大名などの名前を記した御休札も残されています。

所在地:呼坂本町7-10
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61.寺嶋忠三郎誕生の地

寺嶋忠三郎誕生の地
寺嶋忠三郎の生地です。忠三郎は、松下村塾で吉田松陰に学び、尊皇攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。

所在地:原(西原)
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62.高水村塾跡及び楽学(らくがく)の碑

高水村塾跡及び楽学の碑
明治31年に高水村有志によって塾が建てられ、のち大正9年には高水中学校(現在、高水高校となり岩国市へ移転)となり、多くの人材を育成した地です。楽学の碑は、高水村民の教育に対する情熱をたたえたものです。

所在地:樋口(新町)
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63.清尾(せいのお)板碑

清尾板碑
阿弥陀三尊をあらわす梵字とともに、南朝年号である正平10年(1355)の銘がある板碑です。当時南朝側であった大内弘世は、防長を統一後に北朝側となることから、当時を偲ぶ資料のひとつといえます。

所在地:清尾(下清尾)
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64.安田宍戸記念碑

安田宍戸記念碑
毛利氏一門の筆頭で三丘11代最後の領主、宍戸親基は、幕末維新において多くの業績をあげました。大正13年に宍戸家の旧家臣によって建てられた碑です。

所在地:安田(安田上)
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65.高水神社夫婦岩

高水神社夫婦岩
高水神社裏の清尾山の山頂に並び立つ2つの巨岩です。熊野権現の分霊を、この地に勧請した際の影向石と伝えられ、熊毛八景のひとつとなっています。

所在地:清尾※高水神社の東方
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66.毛利元政の墓所

毛利元政の墓所
三丘領主毛利元政の長男元倶が建てた宝篋印塔です。慶長14年(1609)に建てた父元政のもの(左)と、元和4年(1618)に建てた妻の母のもの(右)があります。

所在地:小松原(広末)
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67.毛利元就の歯廟

毛利元就の歯廟
毛利元就の七男で、慶長8年(1603)に三丘領主となった毛利元政が、その年が父元就の33回忌、母の3回忌であったことから建てた宝篋印塔です。元政が身につけていた元就の歯を納めた(右)と伝えられています。

所在地:小松原(広末)
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68.掘貫溜池周辺の植物

掘貫溜池周辺の植物
貴重な植物が多数生息していますが、特にミズニラモドキは、環境省絶滅危惧2類、山口県絶滅危惧1A類に指定されており、県内では確実に観察できる唯一の場所です。

所在地:八代