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ナベヅルの保護

印刷用ページを表示する更新日:2017年8月24日更新 <外部リンク>

周南市のナベヅル保護の歴史

ツルの保護が始まって120年以上。日本の近代自然保護発祥の地といわれる周南市八代地区のナベヅル保護の歴史を紹介します。

明治以前の八代のツル

江戸時代には日本全国にツルが飛来していた記録があり、ここ周南市でも広い範囲でツルが見られていたようです。しかし、八代地区については、江戸期の山口県内の様子を記録した『防長風土注進案』に”ツル”の記述がなく、いつごろからツルがやってくるようになったかはっきりとわかりません。

ツルがいたことを示すものとして、今も魚切地区に残る”つる塚”にまつわる話があります。文政3年、魚切地区の林此面(はやしこのも)という人が村人2人とともに傷ついたツルを保護・看病したものの死んでしまったので、供養のための塚を作ったというものです。当時から少なからずツルとのかかわりがあったということなのでしょう。

明治以降のツル保護・・・保護の始まり

明治時代になると、それまで守られてきた多くの鳥が狩猟によって捕獲されるようになりました。ツルも例外でなく、狩猟の対象となり、明治の早い段階でその数を減らしたといわれています。当時の八代地区には、10羽程度のツルの渡来があったようですが、村人はけっしてツルをとらず、またツルを捕獲しようとする猟師がいればこれを諭してツルを守っていました。

明治20年1月、他の村からやってきた猟師により、ツルが撃たれる事件が起きました。村人はこの猟師を大いになじりましたが、ツル捕獲の禁止を定めたものがなく、猟師は威張ってツルを持って帰ったといいます。

この事件をきっかけとして、山口県令により八代村内でのツル捕獲が禁止されることとなりました。まだ、全国で保護鳥が定められる前のこと。八代地区はまさに近代日本自然保護発祥の地であるといえます。

天然記念物指定と八代のナベヅル

大正10年3月3日、八代地区は「八代村鶴渡来地」として天然記念物指定を受けました。このころから、八代村では増えだしたツルの保護のため、給餌をおこなったり、観光客からツルを守るための柵の設置、ツルの墓の整備などを行いました。

また、住民により「八代村野鶴保護会」が結成され、ツル保護や啓発をおこなっています。

しかし、こうした保護の取り組みも戦争の激化によってだんだんと縮小し、鶴保護会も自然消滅してしまいました。

戦後のツル保護

戦後、人の食料も確保が難しい中、ツルを保護するため、八代中学校生徒による落穂拾いが始まり、ツルへの給餌が行われました。この運動は、他の地域にも広がり、ツルを守るためにと多くの餌が集まりました。

昭和30年に世界的にも貴重であるとして、特別天然記念物指定を受けました。

昭和39年には、野鶴監視所が建てられ、鶴監視人がおかれました。また昭和60年には、ツルを守るために八代のツルを愛する会が設立され、現在に至るまでツルのねぐら整備や環境の整備が行われています。また、平成6年にはナベヅル環境保護協会(平成13年にNPO法人として認証)も設立されました。

新たなツル保護に向けて

ツルの渡来数は年々減少傾向にあり、平成20年には過去最低の4羽となりました。八代のツル渡来地を保護するため、環境の整備を継続して進めるほか、ツル誘引策として平成10年度からデコイの設置を開始、また平成17年度には鹿児島県出水市から保護ツルを譲受け、一定期間飼育後に放鳥する「ツルの移送・放鳥」をはじめています。

貴重な文化財としてのツル渡来地を、またツル類の種の保存のための分散化の候補地として、これからも八代のナベヅル保護を進めていきます。