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周南市回天記念館来館帳(2023年度)

印刷用ページを表示する更新日:2024年4月1日更新 <外部リンク>

こちらでは、来館くださったお客様の感想や、ご意見などを抜粋して紹介させていただいているページです。
皆さんの来館しての感想や、ご意見をお待ちしております。

来館者の皆さんからの感想(2023年度)

2024年3月23日

佐藤秀峰先生の「特攻の島」をマンガで読み回天の事を知りました。今日回天記念館を訪ねた事で当時のリアルを知る事が出来てよかった。印象に残ったのは写真で笑っている顔。皆笑顔で友と写っておりどのような事を考えて訓練していたのかと胸がつまる思いです。次は知覧を訪ねてみたいと思います。

                                広島市在住

2024年3月10日

自分と同じ年齢の人が「祖国の為」と言って命をかける、かけざるを得ない時代があったことを実感します。
遺書を書く時の思いは一体どれほどのものだったのでしょうか。

事実に目を背けることなく、学んでいかなければならないと強く感じました。

                                (大阪から)

2024年2月29日

卒業旅行として知覧、長崎、回天、広島を回っております。

日本人として知らなければならない事実、未来に伝え続けなくてはならない平和や命の尊さ、まだまだ浅はかではありますがこれからもっともっと勉強して日本の歴史を受け止め、二度と悲しい現実が繰り返されないように微力ながらなにか行動を起こしていきたいと考えています。

2024年2月13日

お手紙などを読むと、今の私達と何らかわらない、普通の若者に感じました。別に昔の人が軍国主義の、今と全然考え方の違う人類ってわけじゃなくて。家族思いのふつうの人。

こんな人達が、命がけで護ってくれた。何て言ったらいいか、わからないけど、胸がしめつけられる思いです。

2024年2月12日

戦争を知る方が少なくなっている今若い人間が訪れるべき場所のひとつだと思います。

二度とこのようなことがあってはならないと痛感したと同時に彼らが命をかけて守ろうとした日本の未来に私も何か貢献すべきだと心から思いました。

どうぞ安らかに

2024年1月27日

初めて来館しました。

考案者が軍上層部ではなかったことに驚きましたし、何故こんなものを考案してしまったんだ!と思いましたが、このようなことを考えさせるほど追い詰めた戦争の狂気を想像し、おそろしくなりました。

2024年1月15日

遺書をみてると涙が止まりません。二度とこのような戦争を起こしてはいけないと思います。我が子を戦争に行かせる親の気持ちははかりしれない物だと・・・ 絶対嫌です。

貴重な時間をありがとうございました。決して忘れてはいけない。

2023年12月17日

私と同じくらいの年齢の方たちが、ひどくなる戦況の中一生懸命生きていたことを知りました。平和を享受している私たちは、たくさんの尊い命の上に生きていることを忘れてはならないと感じました。

2023年12月15日

今回で3回目となりました。1回目は小学3年生(9歳)のとき、2回目は、高校2年生(17歳)のときです。大学生(19歳)となった今、私は、何をもって、何のために生きるのか、将来のことを深く考えさせられる日々が続いています。今日の日本を見てみると、祖先の方々に大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

教員志望の私は、今の学びが将来の日本を作ると思っています。何年先も、何十年先も、私が教員である限り、何を思って若者は国家、家族、愛する人のために命を捧げれたのか、伝えれる限り伝えていこうと思います。

この1日1日の積み上げが人生を作る。

愛する祖国日本の為に命を懸けて戦ってくださった方々に、深く感謝申し上げます。

2023年11月26日

若過ぎる死に、心が痛みます。

写真の笑顔、どれもまだ幼くて・・・・。

ご両親のお気持ちもやるせないです。

日本の平和、世界の平和を、心の底から願います。

2023年11月14日

16才で東京大空襲を経験した母が昨年亡くなりました

子供の頃より戦争の悲惨さ残虐さを聞いて育ちました

とにかく今の時代 日本の平和、世界の平和を祈らざるを得ません。

川西市

2023年10月

回天 人間魚雷について、知りたくて、ずっとここを訪れることを希望していました。

思いちがいをしていたこと、回天は兵士からの発案とは知りませんでした。

母国を思う気持ちから生まれた兵器だったことをここに来て知りました。

遺書を読むと涙が出ます。この命のおかげを思い生きたいと思います。

2023年10月27日

日本国のために、命を捧げられた英霊たちの殉職は決して忘れません。

英霊たちの祖国を守ろうとしたお気持ちとその行動は後生に伝えていくべきことであると思います。今後の世界が苦しみの少ない世となることを祈念いたします。

回天の国務に携わった方々の人のためを想う心と、困難を耐え忍ぶ精神力は、現代の日本人よりも勝っている面が強いと思いました。最近の日本は自分さえよければ良いという風潮が強まっていると言われますが、そのような方々にはこの場所や知覧を一回だけでも訪れてほしいです。

2023年9月15日

10代、20代の未来ある若者がこういう形で亡くなられていることについて非常に胸が痛みます。

私達にできることは、1年に1度もいいので、事実をふりかえり、思い出すこと、忘れないことかと思います。

戦争を体験された方が亡くなっていく中で、こういった形で次世代につないでいくべきだと思います。

ありがとうございました。

30代 大阪より

2023年9月7日

私は2005年生まれの18歳です。

今回、回天記念館に来て沢山の学びがありました。

自分のお友達や知り合いの方々にもこの事を伝えていこうと思いました。

戦争時代の方々には感謝してもしきれません。

本当にありがとうございました。

今後の日本を少しでも変えていけるような人になれるよう精一杯頑張ります!

2023年8月24日

回天の乗組員の国を愛する心は現在の我々にとって見習うべきものがある一方、決してこれを美化するのではなく、このような事態にならないために、この回天の悲劇から何を学べるのかを常に問い続けていきたい。

35才 小学校教諭

2023年8月20日

私はまだ子供だから、世界の事をあまりしらないし戦争についてもくわしく知っていないけど、だからこそ単に、戦争はダメだ・やってはいけないと感じることができました。

戦争で亡った方達の思いを精一っぱい生きて、つなぐ事ができたらいいなと思いました。

このようなひげきは二度と起ってほしくないです。

(大阪府・10代女性)

2023年8月18日

映画「あゝ特別攻撃隊 人間魚雷回天」を視聴し、大津島にまだ遺構などがあることを知り訪れました。

遺書を読むと悲しくなります。当時の検閲があった中、彼らはどこまで己の心情を残すことができたのでしょうか?

立派に、美しく散華されたと、戦争が美化されつつあるような気がしてなりません。

神風特別攻撃隊の設立者の一人は自殺されましたが、自殺しなかった人もいます。

戦争にあっても上の人間はずるいものです。気づけば知らないうちに、戦争に参加せざるを得ない状況が待ち受けていることが怖いと思います。

若い方にこそ訪れ、よく考えてほしいと思いました。

20前後の若者が言いたいことも言えず、食べたいものも食べられずに惨らしく死んでいくようなことが決して繰り返されてはいけません。

23才 女性

2023年8月7日

今年で16歳の自分。回天のことなどなにも知らずにここを訪れたけれど、自分と大して年の変わらない多くの若者が命を落としていたことを知り、とてもショックを受けました。同時に、今、自分のいる環境がどれだけ恵まれているか、そして大切な人たちと、毎日平凡な暮らしをできていることがどんなに幸せなことか、様々な事を考えさせられました。

2023年7月22日

私の祖父は回天の搭乗員として、搭乗・出撃する予定でした。

祖父は生前、戦争の話をほとんどしてくれず、母(娘)も話してもらえなかったと言っていました。当時自分の父が死に、”誰が家族や国を守るんだ”と自ら志願して海軍に入り、搭乗員になったそうです。

友人たちが次々と出撃し、次は「よし、自分の番だ。」という時に終戦をむかえたと母から聞きました。

すべての人が、当時のことを後世に残したいと思っていないこと、つらい記憶で思い出したくないと考え、伝えたくないと思っていることも知りました。私は2年前、東京から山口へ引越してきました。

これも何かのご縁だったのかもしれません。今日は祖父の写真とともに越させていただきました。戦争のない世を願い、私もできることをしていきたいです。

2023年7月13日

福岡から来ました。前々よりこちらの施設に来訪したいと思っており、今日訪れることができ感動致しました。平和の大切さ、命をかけて母国を護ろうとした若者達の心の強さを改めて実感することができました。今を大切に1日1日を生きていこうと思えました。英霊の方々へ、心よりご命福申し上げます。

2023年6月30日

「大津島の海に手を入れると仲間を思い出し、仲間が帰ってくるんじゃないかと思う。隣で一緒に飯を食った奴が戦死している」

体験者の方々のお言葉で涙があふれました。私たちが今、こうして幸せに暮らせるのはなんてありがたいことなんだと感じます。友達と一緒にご飯を食べた数日後、戦死したと告げられることは大変な悲しみですし、今では想像もつきません。日本人として生きたことにほこりを思い、自らの意思で志願する強さ。これからを生きる私たちはその”強さ”を戦争ではなく幸福や発展に向けて持ち続けるべきですね。日々、感謝し、その力強い意志を持って日本人として世界に貢献します。たくさんの外国の方が日本にも来てくれるようになりました。私たちはどんな民族、どんな人種でも、お互いのことを思いやり、一緒に成長できる生き物だと信じます。これからも日本、そして世界中が平和でありますように。

28才女性

2023年6月20日

戦争がおこりませんように。我が子が戦争に行くことがありませんように。呉で聞かせていただいた塚本大尉の声が忘れられず、ここへやってきました。

21才の若者が命をおとすことが分かっていながら、日本国のために、立派に語られている....本当にご立派でした。ありがとうございます。

我が娘は幹校の学生です。娘、そして仲間が同じあやまちに巻きこまれませんように。

2023年6月6日

初めて来館しました。数年前より、戦争関連の書籍を読み、特に特攻がどの様に行われていたかを学んでいます。

私の祖父は神風特別攻撃隊に選ばれましたが、飛行キが無く生き残りました。ただ、甲飛(特年兵)だった事を考えると、回天に乗っていても、おかしくはなかったと思います。少しの違いで生き残った者と戦死した者、この“違い”をよく考えます。

亡くなってしまった方は、お話をすることは出来ませんが、生き様や手紙、お写真で、当時がどの様な時代だったかを、しっかりと私達に伝えて下さっています。

資料の保存など、大変な面もあると思いますが、この先も展示を続け、もっと沢山の方々に見て頂けることを願っております。

また、お立ち寄り致します。

2023年5月25日

平穏に暮らせている今をただただ有難く思います。

皆さんが守られた日本

今、私達は胸を張って誇れるでしょうか…

2023年5月7日

大阪から来ました。

子供の頃、学校での平和学習で映画「出口のない海」を観て泣いたのを覚えています。20歳を超えた今、改めて79年前の戦争に興味を持ち、時間の許す限りたくさんの資料館を巡っており、一度はきてみたいと思っていたこちらの回天記念館にこさせて頂きました。自分と同じくらいまた下の歳の方が自分の命と引き換えに日本を守ろうとしたその覚悟はわたしには想像もつきません。ただ、今の日本があるのは彼ら英霊のおかげであり、敬意をもって感謝を申したいです。本当にありがとうございます。ただ、少し思ってしまうのはやはり回天でなくても日本を守る方法はあったのではないかと考えてはしまいます。彼らの思いを否定したいわけではなく、ただただ彼らに生きていて欲しかったとそう願わずにはいられません。優秀な彼らがもし生きていたら、もっともっと日本は優れた国になっていたことでしょう。そう思っても、戻ってはこないので私も含めた現代の人が頑張らないといけないのですね。人の役に立てる人間になれるようこれからの人生を精一杯に生きたいと思います。また、平和な世界、戦争が二度と起こらないように心の底から願っております。

2023年4月20日

自分の息子と同年齢か若い人達が祖国の為に命を捧げた歴史は決して忘れてはならない。

回天搭乗員の皆さんの写真は涙無しには見られませんでした。

2023年4月15日

一度来てみたかった回天記念館。

この島に隊員たちがどんな思いでいたのか。それを思うと、大変悲しく思います。

飛行機に乗る夢をはたせず、あのせまい室内海の中どんなに大変で、つらかったでしょう。

2023年4月1日

ようやく記念館に来ることが出来ました。今の日本があるのも戦ってくれた人がいるからこそと改めて感じました。日々平和に暮らせることに感謝です。忘れてはいけない歴史ですね。

周南市回天記念館
定休日:水曜休館
Tel・Fax:0834-85-2310
〒745-0057 周南市大津島1960

文化振興課(文化振興担当)
Tel:0834-22-8622 Fax:0834-22-8428
〒745-8655 周南市岐山通1-1
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