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人間魚雷「回天」とは

印刷用ページを表示する更新日:2024年10月25日更新 <外部リンク>

 

「回天」について

構造

「天を回らし戦局を逆転させる」という願いが込められた「回天」は、実戦で使われたのは1型のみです。
その全長は14.75m、胴体の直径は1mで1人乗りで、推進装置には、九三式酸素魚雷のエンジンを使っていました。
この魚雷をベースとして開発された兵器のため、海水中で浮力を調整することにより潜行・浮上が可能で、エンジンを停止したり、また後退も自由にできる潜水艦とは機能に大きな差がありました。
先端部分には1.55トンの炸薬を装備。九三式酸素魚雷の炸薬量が最大780kgであったことから、その2倍の量を搭載できたため、「回天」が目標に命中すると、大型艦船でも一発で沈めることが可能と言われていました。

回天の構造図

図面をPDFで見る[PDFファイル/194KB]

性能

エンジンの出力は550馬力、本体の耐圧深度は80m、重量は8.3トンで、速度や航続距離は次のとおりです。

 
速度(ノット) 航続距離(km) 航行可能時間(分)
10ノット(18.52km/h) 78キロメートル 253分
20ノット(37.04km/h) 43キロメートル 70分
30ノット(55.56km/h) 23キロメートル 25分

操縦

水平方向のコントロールは主にジャイロコンパスで行い、手動の縦舵機も備えられていました。
垂直方向の操縦も、深度調整装置に深度をあらかじめ設定すると自動でその深さで潜行します。
ところで「回天」は、航行開始とともに燃料が消費されることで浮力が増加していき、そのまま走行を続けると本体が海上に露呈してしまいます。
それを防ぐためには、機体内にある海水タンクに手動で海水を注入しながらバランスを保つ必要がありました。
一旦、走行し始めると(エンジンが始動すると)、停止すること(エンジンを止めること)ができない上、海面方向には「回天」が海上に露出しないように、海底方向には海底に突っ込まないように操作することや、水平方向には、限られた燃料を効率よく使用し目標艦船に正確に近づくことなどの操作が必要であったため、「回天」の操縦は非常に難しく、訓練中の事故も頻繁に起きていました。
発進手順書を見る[PDFファイル/522KB]
参考文献はこちら※2

攻撃

「回天」は潜水艦のデッキにバンドで固定し、目標艦船がいるエリアまで運搬されます。
目標艦船を発見し「回天」を出撃させる場合、初期の潜水艦には、潜水艦と「回天」を直接結んで搭乗員や整備員が行き来するための連絡路が掲載しているすべての「回天」ごとに用意されていなかったため、潜水艦を一度海面に浮上させて、「回天」の上部にあったハッチから一部の搭乗員は乗り込んでいました。
その後、すべての「回天」に下部ハッチが設けられ、そのハッチと潜水艦の間に交通筒が装備されると、潜水したまま「回天」に乗り込むことが可能になりました。
「回天」に乗り移った隊員は、潜水艦の発令所から伝えられる目標艦船の進路、速度等の情報を電話機で受け、そのデータを射角表という表を用いてジャイロコンパスを設定して「回天」の進行方向を決定し、目標の近くまで潜行して進みます。
そして、予測した所定の距離まで近づいたと思われたら再度浮上し、水防眼鏡で目標艦船を瞬時に確認して再び進行角度を修正するとともに、目標艦船の船底から水面までの垂直距離(喫水)を推測し、その深さに合わせて再度潜行して全速力で突っ込みます。
一度、潜水艦を離艦した「回天」は、体当たりに失敗しても回収されることはなく、また、脱出装置もついていないため、乗り込んだ搭乗員は2度と帰ってくることはありません。
攻撃方法手順書を見る[PDFファイル/862KB]
参考文献はこちら※2

機種

「回天」は次の5機種が製造されたり、計画されたりしていました。参考文献はこちら※2

 
燃料 酸化剤 推進装置 最高速度(ノット) 生産数(機)
一型 ケロシン(灯油) 酸素 九三式酸素魚雷
(2気筒ピストン)
30ノット 約420機
二型 ケロシン(灯油)・水化ヒドラジン 過酸化水素 六号機械
(8気筒ピストン)
40ノット 試作
三型 ケロシン(灯油)・水化ヒドラジン 過酸化水素 六号タービン 30ノット 機関のみ
試作
四型 ケロシン(灯油) 酸素 六号機械
(8気筒ピストン)
40ノット 試作
十型 (電池) 九二式電池魚雷
(電動機)
8ノット 不明

九三式酸素魚雷について

概要

艦船を攻撃する兵器として代表的なものに魚雷があります。
内燃機関を有する初期の魚雷は、空気を酸化剤(酸素供給源)として使用していたため、燃焼に必要がない窒素や燃焼に伴い発生する窒素酸化物はそのまま排出されることから、海水中に気泡が発生し、敵艦船にその存在を発見されるといった欠点がありました。
この欠点を解消する方法の一つに、燃料(灯油)を燃焼させるための酸化剤に酸素そのものを使う方法が考えられます。
この純酸素を使っても、灯油の主成分の一つである炭素と酸素が結びつくことから二酸化炭素が発生しますが、空気を燃焼させて発生する窒素等の量と比べてその量は著しく少なく、また二酸化炭素は水に対しての溶解度も高いため、気泡が発生しにくくほとんど航跡が生じません。
しかし、燃料と純酸素とを最初から混合して燃焼させると、超高温で燃焼してしまうことから燃焼室と気筒が溶けてしまうため、魚雷という装置の中で利用するには、この燃焼をうまくコントロールする必要がありました。
そのためには特別な技術が必要となりますが、旧日本海軍の技術者たちは、着火時の燃焼を純酸素ではなく空気や四塩化炭素を使用することで制御できることを発見し、その技術を確立させ、昭和8年に艦対艦用の正式な兵器として採用しました。
その年が、皇紀(神武天皇即位の年(西暦紀元前660年)を元年とする紀元)2593年であったことから、この魚雷の名称を年号の末尾の2桁を取って九三式酸素魚雷として命名しました。

九三式酸素魚雷図面

図面をPDFで見る[PDFファイル/181KB]
参考文献はこちら※6

回天記念館展示の九三式酸素魚雷のエンジン部分写真

海底から引き上げられ、回天記念館に展示してある九三式酸素魚雷のエンジン部分

性能

参考文献はこちら※8.9

全長:900cm
直径:61cm
重量:2,800 kg
射程:(36ノット)30,000m、(48ノット)15,000m
弾頭重量:780kg(3型)

酸素魚雷の種類

九三式酸素魚雷(艦船から発射用の酸素魚雷)→回天に転用
九五式酸素魚雷(潜水艦から発射用の酸素魚雷)

酸素魚雷発射試験場の誕生

呉市の海軍工廠で開発された九三式酸素魚雷は、同市阿賀にある大入(だいにゅう)遠距離発射場で発射試験がなされていましたが、航続距離が長い酸素魚雷には、もっと長い距離で航行状態を確認できる海域が必要になりました。
そこで、呉市から魚雷を海上輸送してもそう遠くない距離にあり、また、最新兵器の機密性が保持されることをも考慮した結果、大津島が選ばれ試験場が建設されることになりました。
昭和12年からは魚雷整備工場と発射試験場とを結ぶトンネルの掘削工事が始まり、13年からは発射試験場の工事に取り掛かりました。
参考文献はこちら※1

終戦直後に撮影された整備工場の写真

終戦直後に撮影された整備工場

 

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