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尾崎記念集会所

印刷用ページを表示する更新日:2024年4月1日更新 <外部リンク>

故尾崎正章画伯より寄贈された旧尾崎医院を改装し、市民の憩いの場・画伯の小作品(画稿)の展示館・集会所として開館しておりましたが、施設の老朽化等に伴い、令和6年3月31日(日曜日)をもって、閉所いたしました。

尾崎記念集会所

〒746-0062
周南市福川中市町8−30

地元で慕われていた尾崎医院

尾崎医院は、尾崎正章画伯の祖父の代から三代続いた肛門外科の専門医として、長く地元に慕われてきました。画伯の祖父壽人氏(旧姓澤)は、毛利の家臣として蛤御門の変へ従軍しましたが、敗戦後、侍にみきりをつけ、長崎で西洋医学を学び、尾崎家の養子となって、この地に開業しました。以来、尾崎家は画伯の父、叔父、姉、弟と医者を輩出しましたが、戦前から画伯の妻、九重氏によって支えられてきました。

九重氏は仙台出身。画伯の姉睦美氏と帝国女子医専の同級という縁から、昭和7年に画伯と結婚。特に戦時中は外科医として、富田や夜市までも往診に出かけるなどの多忙を極めました。肛門外科の名医として、周辺各地からひきりなしに患者が訪れる尾崎医院。また、昭和61年、開業医50年を迎え、県医師会から表彰された九重氏ですが病に倒れ、昭和62年、惜まれながらも他界。と同時に、三代続いた尾崎医院も、静かに幕を閉じました。