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若山城跡(わかやまじょうせき)

印刷用ページを表示する更新日:2017年5月10日更新 <外部リンク>

若山城跡風景

県指定文化財(史跡)

指定年月日:昭和62年3月27日

所在地:周南市夜市(やじ)・福川(ふくがわ)
地図<外部リンク>

時代:室町時代

若山城は、中世大内(おおうち)氏の重臣であった陶(すえ)氏歴代の城で、夜市と福川にまたがる標高217メートルの若山に位置しています。南に山陽道と瀬戸内海を臨み、西は防府から山口へと続き、北と東は嶽山(たけやま)、四熊岳(しくまがだけ)の急峻を控え陶氏の本拠地である武井(たけい)へと続く交通の要所です。築城は、陶氏二代の弘政(ひろまさ)とも、武名の高かった弘護(ひろもり)によるともいわれ、はっきりとしていません。
東から西の尾根づたいに、三の丸と二の丸(現、駐車場)、本丸(山頂)、西の丸、蔵屋敷と、約450メートルにわたって続く連郭式城郭(れんかくしきじょうかく)で、典型的な中世山城の形態をしています。また空濠(からぼり)・階段状平坦面などの構造がよく残され、防御に威力を発揮したと思われます。
さしもの堅牢を誇ったこの城も、弘治元(1555)年10月1日の厳島(いつくしま)の戦いで、弘護の孫にあたる晴賢(はるかた)が毛利元就(もうりもとなり)に敗れた直後、杉重輔(すぎしげすけ)に攻められ落城しました。