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令和5年度第2回人権ステップアップセミナーを開催しました。

印刷用ページを表示する更新日:2023年11月16日更新 <外部リンク>

第2回人権ステップアップセミナーを開催しました。

令和5年10月31日(火曜日)に「第2回人権ステップアップセミナー」を開催しました。

ハンセン病問題について学ぶため、国立療養所長島愛生園を訪問しました。

 

内容

テーマ 「ハンセン病問題」 

内容 : 国立療養所長島愛生園の視察

日時 : 令和5年10月31日(火曜日) 視察時間 12時30分~15時00分

場所 : 国立療養所長島愛生園(岡山県瀬戸内市)

 

 

まず始めに「歴史館」にてハンセン病の歴史や長島愛生園についての説明を受けました。

【歴史館】

長島愛生園は日本初の国立ハンセン病療養所として1930年に創立されました。

 玄関説明館内

 

 

 

歴史館での説明の後、スタッフの方に解説していただきながら、園内の見学を行いました。

【収容桟橋】

1939年、収容が行われていた浜に桟橋が設置され、ここから多くの入所者が上陸しました。

入所時、家族などの付添い者もこの桟橋までしか入ることができず、入所者にとっては社会や家族との別れの場所にもなりました。

桟橋

 

【収容所(回春寮)】

入所するとまずこの建物に収容され、各種の検査や入所手続きが行われました。

現金などの携行禁止物品の取り上げ、消毒風呂への入浴、持ち物の消毒などもここで行われました。

この建物の中で社会との隔絶を意識した人は少なくありません。

第2施設手洗いベッド

 

【監房】

開園と同時に園内には監房が設置されました。当初は秩序維持を目的としていましたが、実際には逃走した者を多く収監しました。

また、懲戒権が園長に与えられていたため、ほとんど裁判は行われませんでした。

当時、園内が治外法権だったことを物語っています。

壁

 

【納骨堂】

ハンセン病に対する偏見や差別の目は患者のみならず家族にまで及んだため、遺族が遺骨を引き取ることも難しかったのです。

園内に残された遺骨を無縁仏にしてはいけないという想いから1934年、初代の納骨堂が造られ、2002年、老朽化のため再建されました。

この中には亡くなってもなお故郷に帰れない3700柱を超える遺骨が眠っています。

納骨堂

 

 

園内見学後には長島愛生園入所者自治会役員の石田雅男様からハンセン病の歴史や本土と長島を結ぶ邑久長島大橋の建設・納骨堂の再建の経緯などについてご本人の体験談を交えながらお話しいただきました。

講話

 

 

感想

〇感想・意見より

・語り部の石田さんのお話が聞けて、当事者の方の思いに哀しみやせつなさ、この差別を国が率先したことへの怒りを改めて感じた時間でした。貴重な石田さんのお話が胸にこたえました。自分さえよければいい、差別されても仕方ない、このような考え方が差別をまた、大きくするのだと思います。どんな病気でも、どんな障害を持っていても同じ人なのだという事をもう一度みんなで考えていきたいと思いました。

・語り部の方が「世間は厳しい」と話されました。1本の橋をかけるのに17年もの月日が流れたけれど、物理的な交流はひとまず開通しても果たして心の交流はどうであったか・・・。しかし、愛生園で偏見と差別の中を生き抜いた人の話を聞き、彼らの暮らしを間近で見た小学生が「知らないことは罪だ」と感想を述べたとのこと。私達は、もっと、この国に起きた隠れた真実に向き合わなくてはと改めて感じました。語り部の方が「死んではいけない。何かやるべきことが残されている」との助言を心に刻まれ、80歳を過ぎた今なお、自分の生き様が人間らしく生きていることになっているか、自問自答しておられる。私もそうありたいと思います。

 

国立療養所長島愛生園歴史館Webサイト (http://www.aisei-rekishikan.jp/<外部リンク>)を加工して作成