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周南市回天記念館来館帳

印刷用ページを表示する更新日:2024年3月1日更新 <外部リンク>

こちらでは、来館くださったお客様の感想や、ご意見などを抜粋して紹介させていただいているページです。
皆さんの来館しての感想や、ご意見をお待ちしております。

来館者の皆さんからの感想(2017年4月~)

2024年2月29日

卒業旅行として知覧、長崎、回天、広島を回っております。

日本人として知らなければならない事実、未来に伝え続けなくてはならない平和や命の尊さ、まだまだ浅はかではありますがこれからもっともっと勉強して日本の歴史を受け止め、二度と悲しい現実が繰り返されないように微力ながらなにか行動を起こしていきたいと考えています。

2024年2月13日

お手紙などを読むと、今の私達と何らかわらない、普通の若者に感じました。別に昔の人が軍国主義の、今と全然考え方の違う人類ってわけじゃなくて。家族思いのふつうの人。

こんな人達が、命がけで護ってくれた。何て言ったらいいか、わからないけど、胸がしめつけられる思いです。

2024年2月12日

戦争を知る方が少なくなっている今若い人間が訪れるべき場所のひとつだと思います。

二度とこのようなことがあってはならないと痛感したと同時に彼らが命をかけて守ろうとした日本の未来に私も何か貢献すべきだと心から思いました。

どうぞ安らかに

2024年1月27日

初めて来館しました。

考案者が軍上層部ではなかったことに驚きましたし、何故こんなものを考案してしまったんだ!と思いましたが、このようなことを考えさせるほど追い詰めた戦争の狂気を想像し、おそろしくなりました。

2024年1月15日

遺書をみてると涙が止まりません。二度とこのような戦争を起こしてはいけないと思います。我が子を戦争に行かせる親の気持ちははかりしれない物だと・・・ 絶対嫌です。

貴重な時間をありがとうございました。決して忘れてはいけない。

2023年12月17日

私と同じくらいの年齢の方たちが、ひどくなる戦況の中一生懸命生きていたことを知りました。平和を享受している私たちは、たくさんの尊い命の上に生きていることを忘れてはならないと感じました。

2023年12月15日

今回で3回目となりました。1回目は小学3年生(9歳)のとき、2回目は、高校2年生(17歳)のときです。大学生(19歳)となった今、私は、何をもって、何のために生きるのか、将来のことを深く考えさせられる日々が続いています。今日の日本を見てみると、祖先の方々に大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

教員志望の私は、今の学びが将来の日本を作ると思っています。何年先も、何十年先も、私が教員である限り、何を思って若者は国家、家族、愛する人のために命を捧げれたのか、伝えれる限り伝えていこうと思います。

この1日1日の積み上げが人生を作る。

愛する祖国日本の為に命を懸けて戦ってくださった方々に、深く感謝申し上げます。

2023年11月26日

若過ぎる死に、心が痛みます。

写真の笑顔、どれもまだ幼くて・・・・。

ご両親のお気持ちもやるせないです。

日本の平和、世界の平和を、心の底から願います。

2023年11月14日

16才で東京大空襲を経験した母が昨年亡くなりました

子供の頃より戦争の悲惨さ残虐さを聞いて育ちました

とにかく今の時代 日本の平和、世界の平和を祈らざるを得ません。

川西市

2023年10月

回天 人間魚雷について、知りたくて、ずっとここを訪れることを希望していました。

思いちがいをしていたこと、回天は兵士からの発案とは知りませんでした。

母国を思う気持ちから生まれた兵器だったことをここに来て知りました。

遺書を読むと涙が出ます。この命のおかげを思い生きたいと思います。

2023年10月27日

日本国のために、命を捧げられた英霊たちの殉職は決して忘れません。

英霊たちの祖国を守ろうとしたお気持ちとその行動は後生に伝えていくべきことであると思います。今後の世界が苦しみの少ない世となることを祈念いたします。

回天の国務に携わった方々の人のためを想う心と、困難を耐え忍ぶ精神力は、現代の日本人よりも勝っている面が強いと思いました。最近の日本は自分さえよければ良いという風潮が強まっていると言われますが、そのような方々にはこの場所や知覧を一回だけでも訪れてほしいです。

2023年9月15日

10代、20代の未来ある若者がこういう形で亡くなられていることについて非常に胸が痛みます。

私達にできることは、1年に1度もいいので、事実をふりかえり、思い出すこと、忘れないことかと思います。

戦争を体験された方が亡くなっていく中で、こういった形で次世代につないでいくべきだと思います。

ありがとうございました。

30代 大阪より

2023年9月7日

私は2005年生まれの18歳です。

今回、回天記念館に来て沢山の学びがありました。

自分のお友達や知り合いの方々にもこの事を伝えていこうと思いました。

戦争時代の方々には感謝してもしきれません。

本当にありがとうございました。

今後の日本を少しでも変えていけるような人になれるよう精一杯頑張ります!

2023年8月24日

回天の乗組員の国を愛する心は現在の我々にとって見習うべきものがある一方、決してこれを美化するのではなく、このような事態にならないために、この回天の悲劇から何を学べるのかを常に問い続けていきたい。

35才 小学校教諭

2023年8月20日

私はまだ子供だから、世界の事をあまりしらないし戦争についてもくわしく知っていないけど、だからこそ単に、戦争はダメだ・やってはいけないと感じることができました。

戦争で亡った方達の思いを精一っぱい生きて、つなぐ事ができたらいいなと思いました。

このようなひげきは二度と起ってほしくないです。

(大阪府・10代女性)

2023年8月18日

映画「あゝ特別攻撃隊 人間魚雷回天」を視聴し、大津島にまだ遺構などがあることを知り訪れました。

遺書を読むと悲しくなります。当時の検閲があった中、彼らはどこまで己の心情を残すことができたのでしょうか?

立派に、美しく散華されたと、戦争が美化されつつあるような気がしてなりません。

神風特別攻撃隊の設立者の一人は自殺されましたが、自殺しなかった人もいます。

戦争にあっても上の人間はずるいものです。気づけば知らないうちに、戦争に参加せざるを得ない状況が待ち受けていることが怖いと思います。

若い方にこそ訪れ、よく考えてほしいと思いました。

20前後の若者が言いたいことも言えず、食べたいものも食べられずに惨らしく死んでいくようなことが決して繰り返されてはいけません。

23才 女性

2023年8月7日

今年で16歳の自分。回天のことなどなにも知らずにここを訪れたけれど、自分と大して年の変わらない多くの若者が命を落としていたことを知り、とてもショックを受けました。同時に、今、自分のいる環境がどれだけ恵まれているか、そして大切な人たちと、毎日平凡な暮らしをできていることがどんなに幸せなことか、様々な事を考えさせられました。

2023年7月22日

私の祖父は回天の搭乗員として、搭乗・出撃する予定でした。

祖父は生前、戦争の話をほとんどしてくれず、母(娘)も話してもらえなかったと言っていました。当時自分の父が死に、”誰が家族や国を守るんだ”と自ら志願して海軍に入り、搭乗員になったそうです。

友人たちが次々と出撃し、次は「よし、自分の番だ。」という時に終戦をむかえたと母から聞きました。

すべての人が、当時のことを後世に残したいと思っていないこと、つらい記憶で思い出したくないと考え、伝えたくないと思っていることも知りました。私は2年前、東京から山口へ引越してきました。

これも何かのご縁だったのかもしれません。今日は祖父の写真とともに越させていただきました。戦争のない世を願い、私もできることをしていきたいです。

2023年7月13日

福岡から来ました。前々よりこちらの施設に来訪したいと思っており、今日訪れることができ感動致しました。平和の大切さ、命をかけて母国を護ろうとした若者達の心の強さを改めて実感することができました。今を大切に1日1日を生きていこうと思えました。英霊の方々へ、心よりご命福申し上げます。

2023年6月30日

「大津島の海に手を入れると仲間を思い出し、仲間が帰ってくるんじゃないかと思う。隣で一緒に飯を食った奴が戦死している」

体験者の方々のお言葉で涙があふれました。私たちが今、こうして幸せに暮らせるのはなんてありがたいことなんだと感じます。友達と一緒にご飯を食べた数日後、戦死したと告げられることは大変な悲しみですし、今では想像もつきません。日本人として生きたことにほこりを思い、自らの意思で志願する強さ。これからを生きる私たちはその”強さ”を戦争ではなく幸福や発展に向けて持ち続けるべきですね。日々、感謝し、その力強い意志を持って日本人として世界に貢献します。たくさんの外国の方が日本にも来てくれるようになりました。私たちはどんな民族、どんな人種でも、お互いのことを思いやり、一緒に成長できる生き物だと信じます。これからも日本、そして世界中が平和でありますように。

28才女性

2023年6月20日

戦争がおこりませんように。我が子が戦争に行くことがありませんように。呉で聞かせていただいた塚本大尉の声が忘れられず、ここへやってきました。

21才の若者が命をおとすことが分かっていながら、日本国のために、立派に語られている....本当にご立派でした。ありがとうございます。

我が娘は幹校の学生です。娘、そして仲間が同じあやまちに巻きこまれませんように。

2023年6月6日

初めて来館しました。数年前より、戦争関連の書籍を読み、特に特攻がどの様に行われていたかを学んでいます。

私の祖父は神風特別攻撃隊に選ばれましたが、飛行キが無く生き残りました。ただ、甲飛(特年兵)だった事を考えると、回天に乗っていても、おかしくはなかったと思います。少しの違いで生き残った者と戦死した者、この“違い”をよく考えます。

亡くなってしまった方は、お話をすることは出来ませんが、生き様や手紙、お写真で、当時がどの様な時代だったかを、しっかりと私達に伝えて下さっています。

資料の保存など、大変な面もあると思いますが、この先も展示を続け、もっと沢山の方々に見て頂けることを願っております。

また、お立ち寄り致します。

2023年5月25日

平穏に暮らせている今をただただ有難く思います。

皆さんが守られた日本

今、私達は胸を張って誇れるでしょうか…

2023年5月7日

大阪から来ました。

子供の頃、学校での平和学習で映画「出口のない海」を観て泣いたのを覚えています。20歳を超えた今、改めて79年前の戦争に興味を持ち、時間の許す限りたくさんの資料館を巡っており、一度はきてみたいと思っていたこちらの回天記念館にこさせて頂きました。自分と同じくらいまた下の歳の方が自分の命と引き換えに日本を守ろうとしたその覚悟はわたしには想像もつきません。ただ、今の日本があるのは彼ら英霊のおかげであり、敬意をもって感謝を申したいです。本当にありがとうございます。ただ、少し思ってしまうのはやはり回天でなくても日本を守る方法はあったのではないかと考えてはしまいます。彼らの思いを否定したいわけではなく、ただただ彼らに生きていて欲しかったとそう願わずにはいられません。優秀な彼らがもし生きていたら、もっともっと日本は優れた国になっていたことでしょう。そう思っても、戻ってはこないので私も含めた現代の人が頑張らないといけないのですね。人の役に立てる人間になれるようこれからの人生を精一杯に生きたいと思います。また、平和な世界、戦争が二度と起こらないように心の底から願っております。

2023年4月20日

自分の息子と同年齢か若い人達が祖国の為に命を捧げた歴史は決して忘れてはならない。

回天搭乗員の皆さんの写真は涙無しには見られませんでした。

2023年4月15日

一度来てみたかった回天記念館。

この島に隊員たちがどんな思いでいたのか。それを思うと、大変悲しく思います。

飛行機に乗る夢をはたせず、あのせまい室内海の中どんなに大変で、つらかったでしょう。

2023年4月1日

ようやく記念館に来ることが出来ました。今の日本があるのも戦ってくれた人がいるからこそと改めて感じました。日々平和に暮らせることに感謝です。忘れてはいけない歴史ですね。

2023年3月31日

自分がもしばくだんをうたなければならないとしたら、ぜったいに自信がなくてのぞめないと思います。なので、ばくだんをうった人は、みんなの大切な人のことを深く考えて自信をもってのぞんだんだと思います。そんな自分たちをささえてくれる人がいるからこそ、自分でも命をまもれるんだと考えました。なくなった人がたくさんいるのに、自分をささえてくれる人がいることを本当にありがたく思います。

2023年3月21日

一度は訪れたいと思ってから5年近くは経過したでしょうか。

ようやく来ることができて良かったです。

今、日本で暮らしていると「戦争」を意識することはないと思いますが、ウクライナ・ロシアがやっている「戦争」を日本も経験しているということ、そのことにもっともっと目を向けるべきだと思います。

より良い日本に、より良い世界になることを願って・・

2023年3月5日

大和ミュージアムで回天のことを知り、ずっと訪れたいと思っていました

亡くなられたお一人、お一人の気持ちを考えると胸がつぶれる思いです。

今もまだ様々なところで起きている争いがなくなり世界が平和になりますように心から祈ります。

2023年2月12日

たくさんの、未来ある若者たちが戦争で亡くなり、本当に残念です。彼らの想いを背負って私たちは、日々できることを行いたいです。世界中が、早く、戦争がなくなって、皆幸せに暮らせますように。

日本のために戦ってくださった方々、日本を護ってくださった方々に感謝します。貴重な資料を大切に保管してくださり、ありがとうございます。勉強になりました。

2023年2月2日

京都からきました。

私と年齢が変わらない若者たちの命が失われていったこと。

青春を犠牲にし、愛する者たちと別れ、自らの死に何等かの意味を見出そうとしたこと。とても胸が痛みました。

彼らの死を、賛美はできません… かけがえのない若者たちが死すべき状況を生み出していった事実は変わらない。

そのような戦争を再びくり返してはならないと強く思います。

2023年1月21日

この皆さんが令和の今をどの様に感じているのだろう。世界は何も変わっていないと思うのだろうか… 良き日本、良き世界を切に願う

                                                        東京

2023年1月10日

沢山考えねばならない事がありますが、常に感謝の心を忘れずに、迷ったらともかく前進をしようと決意と勇気を頂きました。

大小関係なく、自身も、皆の役に立てる様生きます。

貴重な資料を残し、館の存命に努めて下さりありがとうございます。

今日来館できたこと、心より感謝申し上げます。

東京都より

2022年12月13日

戦争の恐ろしさがわかりました。

あと1ヶ月、半年で終戦したのに・・・

平和になることをいのります。

2022年12月8日

まだまだかわいらしい顔をした若者達が死んでいくようなことがこの先あってはならないと思いました。

この子達はいったい何のために亡くなったのか

その意味を今生きている者がもっとしっかり考えなくてはならないですね…

2022年11月29日

県内の者ですが、この度、初めて来ました。

遺影や遺品を見て、この時代、この方々が確かに存在していたのだと、改めて感じました。

もっと多くの方々に見ていただきたいですね。

平和な世の中になりますように。

2022年11月7日

命をかけて守って下さったこの国を、これから戦争のない、平和な国にしていきたいと思います。

安らかに眠って下さい。

2022年10月23日

自分と同じくらいの歳の若者が何人も亡くなったのはショックです。特攻も戦争も愚かなあやまちを二度とくり返さぬよう、平和を感謝し、平和を維持していかねばならない。そう感じました。もう二度と悲しき「英霊」を作り出さない世の中を守ろう。

2022年10月20日

一つ一つの品に思いが込められており、とても心にくるものがあった。手紙やハガキなど読み方のわからないものもあったがしっかり読めた気持ちになりました。

戦争のない平和な世界になるよう一人一人が考えなければいけないと思う。今の生活があることにありがとうございました。

2022年10月15日

悲しくつらい思いになります。現在を生きる者として、その教訓を忘れない。

思いを続けていくことの大事さを痛感します。

2022年9月29日

福岡県みやま市から来ました。回天のことを知ったのはここ5~6年のこと。それまで日本にこんなにも人の命を軽く考えた兵器があるとは(特攻隊もですが)思ってもみませんでした。当時の教育、洗脳で、心の清い人々が若者がこうして戦争にかりたてられた。

今の日本、世界も、それに近づいているように感じます。どうぞ、この方々の尊い命をムダにせず、平和な日本を続けられ、みんなが助け合い、笑顔で生きていけますように。

2022年9月12日

先人達の御言葉一句一句が心に染みました。

英霊への尊敬、そして感謝の念を忘れず、今を生きようと思います。

2022年8月11日

奈良県から来ました。亡くなった祖父の魂と共に来館しました。

祖父は回天の特攻要員でした。後数日終戦日がずれていたら私は存在しませんでした。米軍の襲撃で負傷した跡が祖父にはありました。今でも戦争は終わっていません また回天のような命を部品に使った悲しい兵器が生まれないことを祈ります。

2022年8月7日

私は福岡県で教員をしています。夏季休暇を利用して初めてこちらに来ることが出来ました。記念館だけでなく基地跡や当時の建造物や道など、様々なものがこの島に残されており、本当にここで命を燃やした方がいたのだと実感しました。様々な考えや思いが認められ、世界的に一個人が自らの考えのもと生きていける現代ですが、その価値感で当時を見るのではなく、自らの命に代えてでもこの国を想った若い人々のことを我々は忘れてはならないのだと、この場に来てさらに強く思いました。

そういった人々の想いの上で、いまここに幸せを享受できているということを子どもたちにも伝えていきたいと思いました。

2022年8月4日

当年71才になって始めて、この地を訪れましたが今までの平和で豊かな暮らしの礎を造って頂いた当時の若者たちに申し訳ない気持ちです。

今日の機を今後の自らの人生の指標の中に取入れて行こうと思います。

奈良県

2022年7月31日

高校の活動で来ました。自分達と同じくらいの方々が国のため、という一心で二度と帰れない回天に乗り込んだ。当時の混乱が生々しく伝わってきました。山口に住む私達はまだこうして知る機会があるけれど、全国にはこうした歴史を知らず生きている人がいるということが悲しいです。

2022年7月25日

本日、大阪から息子の航空自衛官の卒業式を終え、やって参りました。息子と同じ世代の方々が当時、国を守る為に亡くなられて逝った。とても悲しい気持ちになりました。これからの日本(世界)が平和でありますように。私、自身も方々に恥じない生き方をしてまいります。安らかに・・・

 

2022年7月3日

柱に刻まれている文章一つ一つがすごく重く感じました。

私と同じ歳くらいの若者たちが本気で日本を守ろうと自分の命をかけて戦っていたことを改めて知ることが出来て良い機会になりました。

2022年6月25日

戦争は二度と起こしてはならないと思った。

尊い命を犠牲にしてはならない。平和が続きますように。

2022年6月18日

改めて、戦争や平和について考えました。

伝える責任を感じます。

2022年5月8日

小学生の宿題でおじいちゃんが回天に乗っていたと知りました。それから25年。おじいちゃんが亡くなってこの島にきました。大津島にいたのか。他の所なのか…。分かりませんが、おじいちゃんがやっていたことを知りたかったです。もっと早く、おじいちゃんとこれたらよかったなとこうかいしています。小学生の子どもにはむずかしく伝わりませんでしたが大人になってまたいつかここに来てほしいです。

大好きだったおじいちゃんに近づけた気がしてうれしかったです。

2022年5月8日

生きたくても生きる事ができなかった人達がいる事を改めて感じました。

その人達の分まで、私達が精一杯生きていかないといけないと思いました。

2022年5月2日

30年前、20年前、本日で3回目の来場です。

今回は、子供と来ました。

広島市在住なので、広島は、原爆教育がさかんで、戦争=原爆なのですが、その他にも、ひさんな事がたくさんあったという事を学んでほしいです。

そして、ここに来て、学んでくれたと思います。

いつ来ても、心苦しくなります。

「世界平和」ずっと平和な世の中になりますように。

2022年4月15日

たくさんの遺品や遺書をみてとても衝撃をうけたとともに彼らのおかげで今平和にくらしていると改めて思った。

2022年4月10日

2回目の来館です。何度来ても悲しくなります。戦争があったからこそ今の平和がありますがやはり良いことではないと思います。考えれば考えるほどむずかしいです。未来を担う子どもたちにも、この事実は伝えたいと思います。

2022年4月5日

“回天„についてよくわかった。たくさんの遺品を見て、ほんとうに出げき者はつらかったのではないかと思いました。

2022年3月31日

皆さんに恥ずかしくない様、精一杯頑張ります。ありがとうございました。

2022年3月17日

二回目の来館です。今をしっかりと精一杯生きようと改めて感じました。

日本の為、日本という国を誇りに思えるような生き方をしていこうと改めて感じました。

広島県

2021年12月24日

人生で三度目の回天記念館です。まだ19才、来年には成人をむかえますが、同じ年齢の方々が祖国のために、家族のために自分の身をぎせいにして守るということができたことに尊敬を覚えます。戦後80年。戦争体験者の方々が高齢化していくなか若い私たちが引き継いでいかなければと改めて実感いたしました。いまの平和な日本があるのは、英霊の皆さんのおかげです。ありがとうございます。必ず後世に語り継ぎます、安らかにお眠り下さい。

2021年12月5日

この場所は、大切に語り継いでいく拠点です。「お国の為」でなく「大切な人の為」に出撃された方も多いでしょう。そしてその「大切な人」を守る為に命を懸けて戦ってくれたお陰で「大切な人」が命を次世代につなげて、今があると思います。見た事もない、血縁でもない、そんな方々の願い、希望の先に私達がいるという事に感謝して生きよう。

2021年12月4日

私は本で回天というものを知り、この場所に来させて頂きました。今の日本がある、今の日本では考えられないことばかり・・・。命というものを考えさせられました。もう二度とこのようなことがないことを願います。

2021年11月15日

兵器も搭乗員たちも確かに存在していたことがよく分かる。歴史の保存の重要性を感じることができた。

2021年11月14日

私は学校で回天のことを知りました。実物を見たことがなかったので、新型コロナウィルスが少しだけおさまった今、ここに来ることができました。平和の尊さや戦争のひさんさを知ることができました。来年から中学生なので、ここで学んだことをたくさんの人に話したりしたいです。

2021年11月1日

今、戦争がないことにありがたく思います。

とうじは死ぬかくごでいった人たちがいっぱいいることがわかりました。亡くなった人たちの写真を見たらその人がおもっていることや かぞくとあえなくてかなしむ人たちのことがわかりました。戦争は本当にこわいです。戦争にあった人たちはほんとうに苦しかったと思いました。ぼくはほんとうに戦争はだめだと思います。戦争はなんのかちもありません ただ人が亡くなっていくだけです。写真みてぼくもかなしくなりました。

2021年10月29日

今まで、こうした特攻にどんな気持ちで志願するのか、考えてもよく分かりませんでした。回天記念館に来て、身近な愛する人々を守りたいという、現在ではごく当たり前のことに一つの命をかけた人達がいたのだと知りました。彼らが守りたかった景色、人々の暮らしを、これからも守り続けて行かなくてはならないと思います。また多くの人が傷つく戦争はあってはならないと強く思います。 東京都

2021年10月18日

お恥ずかしながら、神風特攻隊は子どもより存じていましたが、回天特攻隊を知ったのは大人になってからでした。戦争という時代背景から生じる今とは全く異なる心理状態 価値観はもちろん、人生や自分の生への感覚、生きる意味・・・でも資料を拝見して、回天に集う人たちがいかに優秀で賢くて、忠誠心があって有能で精神力もすばらしい方々なのかが伝わってきます。歴史で見れば、たった数年、数ケ月の出来事の中で変動していく日本や世界ですが、教科書をよむだけでは感じとることができないようなリアルさに、ここに訪れることができたことで想いをはせることができました。日本や未来の人のために決意をしてくださった皆さん、この時代を支えてくれた方々、様々な資料を人生をかけて守ってくださった毛利氏 そして今も それを大切に守り 私たちに 語りつごうとしてくれている方々に本当に感謝でございます。「だから慰霊祭をする」ビデオ上映の言葉が心からはなれません。平和な時代に生まれ、生きる私たちだからこそ、ここでの想いを忘れずにいたいと思います。本当にありがとうございました。

2021年10月16日

初めて、こちらへうかがいました。回天やそのころの時代背景をくわしく知るにつれ胸が苦しく、心をうたれる想いでいっぱいです。今この瞬間を大切に大切にしたいと心より思います。

皆さんのたましいが安らかであります事、お祈り申し上げます。 広島

2021年10月3日

戦争という大変おろかな事を犯した人類。今も世界のどこかで争っているが、何の為にと思う。平和な事こそ何よりも一番だと改めて教えられた気がした。

2021年8月29日

家族と来ました。回天に乗った若者たちの残した遺書に心を打たれました。塚本少尉の残された言葉に涙しました。みな家族や身近な愛する人たちの幸せを願って命を散らしたのですね。戦後76年。今を生きる私たちが何をすべきか、どう平和を守っていけばよいのか、考えさせられました。また、来たいと思います。

2021年8月15日

見ていてとても胸が痛くなりました。戦争は二度としてはいけません。

2021年8月13日

遺品、遺筆から一人ひとりの生きた証しと思いを受けとりました。あの戦争の様々な場所、様々な立場で戦い命を散らせた人々があったことを語り継いでいきます。

2021年8月7日

若い方の写真を見てるとそれぞれ何か現代の私達に問いかけて来る様だった。今の私達、子供達そして社会の有り方、何もかもがおかしなものになってしまっている。この方達に誇れる日本にしなければ・・・私は孫もいて、普通に生きている・・・二度と戦争をしてはならない・・・孫に伝えて行く事で冥福を祈りたい。

2021年7月22日

若者の言葉、手紙に胸がうたれました。どれほどの覚悟があったのか・・・想像もできません。決してくり返してはいけない過去だと思います。

2021年7月18日

広島から来ました。来るのは大学4年生以来、16年振りです。今の自分達の生活の礎には、先人の、先輩達の犠牲の上に成り立っていることを強く感じました。ありがとう。平和の世を切り拓いてくれて本当にありがとう。自分も自分に出来る事を後輩の為に行います。

2021年7月18日

20才前後の若者の言葉とは思えないほどの重みに胸打たれました。今を生きることに感謝を忘れないようにしたいと思います。

2021年7月18日

広島にここ数年旅行に来る機会があり“平和“”原爆“”戦争“についてほんの少しではありますが学んでいます。今回、徳山まで足を伸ばしたため、せっかくならと回天記念館にお邪魔しました。『生』の資料(遺構)が拝見でき、生々しさに心をうたれました。わたしは「君が代」からとった「君代(きみよ)」という名前に生まれ、愛国・・・とからかわれて生きてきましたが、自分の名前は誇りに思っています。(もちろん戦争を推しているというわけではありません!)とはいえ、御国のために、と自ら死を選ぶことはできないと思います。もちろん、時代もあるかとは思いますが、当時の青年たちの覚悟、心の強さには敬服するばかりです。こういった記録・歴史は未来にきちんと残され、我々がつなげて風化させてはならないと思います。できることは限られていますが、まずは自らの知識を深めるところから、今後も学んでいきたいです。今日、こちらに伺って良かったです。まだまだ時勢柄動きづらい日々が続きますが、早くこの禍が落ちつき、多くの人に回天記念館を訪れてほしいと思います。ありがとうございます。

東京都

2021年5月24日

戦争の残酷さというものをあらためて感じました。

しかし、平和とはただ言うだけでは訪れないと思います。日本のために散っていった方々が、今の日本を見たらどう思うのかと考えました。

2021年5月15日

周防大島の陸奥記念館から息子が戦争とは何かという事を学び、本日も小学生にも関わらず、ここに来たいと言うので来ました。遺品の数々を見て、たくさんの事を感じた親子旅となりました。

山口県

2021年4月20日

地元周南市に於いて、回天の歴史が知られていないことに憂慮しています。負の遺産としてではなく、平和を求める心を育てる資料として世界の人々にその存在を知ってほしく思います。

2021年4月13日

こんなに若い人たちが犠牲になった戦争、もちろん二度と起こしてはならないと思う反面、彼らが誇りを持ち、確信を持って志願したことを思うと複雑な気持ちになります。何が幸せか、何が良い人生か、これからも考え続けたいです。他の方も書いておられますが、今の人には分かりにくい文字や言い回しも多いので、現代語訳のようなものがあるとより良いかなと思います。

2021年4月9日

今の平和な日本があるのは、尊い命を犠牲に国を守った あなた方のお陰です。歴史を風化させない為に一人でも多くの人にこの回天記念館を訪れて欲しい。

福岡県

2021年4月3日

二度と過ちの歴史をくり返してはならないと強く強く思いました。来てよかったです。

2021年3月27日

十数年前、研修で来た時には、自分と同じ年頃の若者の運命に衝撃を受けたのを覚えています。年を取り、多くの経験を経て今思う事は、彼等の犠牲を無駄にしてはならないという事です。今の価値観であれば酷いのひと言で済むでしょうが、当時の時勢を考えれば、御英霊達は自分に出来る事を充分に為されたのだと思いたい。今を生きる者として。この犠牲を伝える事が、せめてもの出来る事と思います。

 

2021年3月27日

僕は今高校2年生で平和な日々を過ごせてますが、回天で出撃された方には僕と同じ年、近い年の方が多くいらっしゃることが分かりました。とても僕には理解できないくらいの恐怖などがあったと思います。それでも日本の未来のために散っていった若い多くの命。僕にできることはその方たちの思いを受け取って戦争をしない世界、平和な日本であり続けるように、また日々の生活で元気にあたり前のようにいれることに感謝の気持ちを持って生きていきたいと思います。先人の御魂に合掌。

 

2021年3月27日

息子と同じ年頃の若い命が失われたのを目にすると、本人の無念さと共に家族の思いを考え胸が熱くなりました。若者が未来を奪われる様な戦争が二度と起こらぬ様、祈念いたします。

 

2021年3月9日

遺書を拝見するといつも涙が出ます。どこの戦争に関する資料館にも遺書がありますが、前途有望な若者の死については、残念と思うとともに、二度とあのような時代を作ってはいけないと強く思います。純粋で優秀な若者にあのような遺書を書かしたこと もう一度日本人は深く考えることが必要と思います。

 

2021年3月1日

平和とは何らかの犠牲なくしては成り立たたぬものなのか、、、、

今もどこかで続けられる戦争、戦争の正当化などあり得ない。犠牲もなく、歩み寄り、真に理解し手を差し伸べ平和な世の中をつくることこそ 現代を生きる我々の使命ではなかろうか。彼らの尊いメッセージを伝えよう!!

山口県

 

2021年2月21日

人間は水一杯でもありがたいと瞬時に思える感性をもってるけど、のどもとすぎれば・・・・・すぐに忘れてしまうものでもあります。私もその一人である事をここや知覧に行って考える事ができました。あなた達に比べたら私の悩みなんてです!!

命をかけて守ってくれてありがとうございました。心から感謝致します。

そして、私をここにつれて来てくれた人へ ありがとう!!

 

2021年2月15日

回天の方達は、日本のため大切な人のため、今私が生きている日本を命をかけて守って下さった。

また、先代から続く祖国を生きていた人を想って行動したことが素晴らしいと感じた。今は今、昔は昔と考えていたが、その考えを改めるきっかけになった。

 

2021年2月14日

ずっと訪れたいと思っていた場所。やっと訪問できました。

若くして散華された彼らが、今の日本を見たらどう思うだろうか。

怠惰な日々を送っている自分が情けない。日々を大切に生きたいと思う。

 

2020年12月25日

死と背中合わせのきびしい訓練の毎日 耐えぬき、自分の死を国に捧げていった若者たちの魂のうえに今の平和があると。

ただ、ただ涙がでました。戦争のない世界を・・・。

2020年12月21日

いつの時代もどこの国でも、このような命のかけ方をしなくてもすむように。

私たちは何を考え、行えばいいのか・・・

でも、ただ、この記念館が大事にされ多くの人がここに思いをつづられることに感謝です。

2020年11月21日

わたしは、せんそうを「だめ」といって、ころされたり、ばくだんのなかで、亡くなったり、なくなっている人が、こんなにいたことをはじめてしりました。わたしは、せんそうが、ダメなことだと思いました。いま、わたしがいきていることをありがたく、本気で、せきにんをもっていきなくては、ならないと思いました。

2020年11月15日

回天へ志願されて、多くの方が戦死されておりますが、大変おつらい中でも、生きてこの回天のことを語って頂いた方々は、日本の財産です。伝えていただき、本当にありがとうございます。回天で亡くなられた方々に恥じない様、平和な日本であり続けます。

2020年11月8日

ぼくは、ここに来て亡くなられた方がたの写真を見て、心がいたみました。今こうして、平和に生きていられるのは、とても幸せなことなのだと思いました。今は、幸せな生活を送っています。もう二度とこのようなことが起きないように、ここに来て感じたことを心に残しておきたいです。

2020年11月5日

人の思いの深さ、強さ、現代の私たちとは比べものにならない生命への信念に心の奥から震えが止まりません。

私はなんと今ある生を軽んじているのかと喝を入れていただきました。誉れ高き先人に恥じぬよう、生のあるかぎりと尽くす所存です。

2020年10月27日

過去のあやまち、悲惨さ、苦しみを感じて、6年生の子どもたちが「平和の大切さ」「命の尊さ」を実感してくれるといいなと思います。ありがとうございました。あやまちは、くり返しません。

2020年10月17日

祖父がここで過ごしていたときの当時の人の営み、そして人の思いに触れることが出来て、とても良かったです。この先も先人達の思いを受け継いで未来永劫戦争のない世を守っていこうと改めて感じさせられました。

2020年10月8日

みんな若くして亡くなったと知りとても深い気持ちになった。このことは後の世代に自分たちが伝える必要があると知った。平和に感謝!!

2020年9月26日

今の時代に感謝。風化せぬ様語り続けないとです。

2020年9月22日

今、平和な日々を過ごす事ができるのは、昔、戦った若者達のおかげなんだと思います。

今の平和がいつまでも続きますように!!子供達が平和な世の中を生きていけますように。

2020年9月20日

涙が出ました・・・立派な若者の姿。この歴史があっての自分達が生かされてる事に感謝しなければならないと強く感じました。

2020年9月20日

初めて訪問しました。知覧(特攻記念館)の手紙の展示でも同じ事を感じたのですが、特攻におもむく若者の壮烈な決意と共に、両親兄弟や恋人や婚約者等にあてた、親愛の情とにじむ無念さに、もう言葉が見つかりませんでした。十死零生の特攻兵器が二度と使用されないように、私自身も心に決めなければなりません。

2020年9月17日

来れて良かったです。回天について学び、今の平和がいかに幸せか学びました。

2020年9月4日

このような歴史が存在したこと、日本のために必死で日本を守ろうとした若者がいたこと、今日のことを忘れず

これからの人生を生きていきたい。絶対に戦争が起こらない未来を祈って・・・

2020年8月14日


こんなにも多くの記録が残っているとは思わなかった。授業で習うよりも心に残るものが多い。ぜひ、多くの人に訪れてもらいたい。

2020年8月14日

明日は終戦記念日です。今回ここに来て、あなた方が見ていた景色を自分が見た時、胸がしめつけられる思いがしました。戦争は絶対にしてはいけない。そう改めて思いました。

2020年8月1日

この国を守る為に亡くなられた方々の年齢を見ると心が締めつけられます。十代で命を投げうつ決断と実行力が果たして今の自分にあるのだろうか、同じことが出来るのかと考えさせられた。今の平和な日本があるのは、彼らや彼らの世代、その後の日本人が成し遂げたものであり、これからも平和で豊かな日々が続くように努力し続けなければと思いました。本当にありがとうございました。

2020年7月25日

32年ぶりに息子を2人連れて来ました。小学生だった私が初めて来たときと同じく、何かを感じとって帰ってほしいです。

2020年7月23日

10数年ぶりに来ました。建物のおもかげだけは覚えていますが、改めて平和な時代を感じました。コロナの世の中ですが、いつか人類も平和になる日を祈ります。

2020年7月5日

現実にあった事実とは思えないが、自分と同じ歳頃の方々が、戦争に身を投じ、回天に乗り込んだ真実が分かった。

これからの日本をつくっていく者として極めて遺憾に思うとともに、精一杯生きていきたい。

2020年6月27日

コロナ解禁。

3月に来る予定だったので、やっと来れました。

昨年、特攻隊の知覧に行き、またしても若者の笑顔に涙します。

終戦まじかに決死の思いにさせられる。たった75年前のこと。

世界中の戦争の動乱に巻き込まれていった犠牲者に哀祷。

こうならないために、現代の世界情勢や政治に関心をもっていかなくてはと思います。

2020年2月18日

なぜ志願できたのか不思議でした。
死への恐怖はなかったのか、必死の作戦に。その死の瞬間はわかりませんが。
自然と涙が出ます。

2019年12月13日

現代を生きる我
祖国の為、愛する家族の為…本当にこうすることしかなかったのか・・・
ただ この時代があってこその現在
忘れてはならぬ 繰り返してはならぬ
未来を生き抜く我
愛する家族の為、生を共にする周囲の人の為、これから誕生する人の為、
心ゆたかに 笑顔たえすことなく この世に生まれたことに 只々感謝

2019年11月29日

平和な現代、ここを訪れて過去を知る。
壮絶な歴史を学ぶことはできても、長閑な瀬戸内の海を見ると、ここで本当にあったことなのかと余計に戸惑いを感じます。
あの長いトンネルを8トンもの重量を人力で動かし、それが必死の乗り物である事を思うと、特攻された方はもちろん、後方支援の方々も…。
当時の状況に想いを馳せ、改めて平和の尊さを身に覚えた場所でした。
知るだけでなく想像してみる大切さを気付かされてしまいました。

2019年10月22日

今日、回天記念館に来てみて僕達は、今、平和な日々を過ごしているけど、この平和に行き着くまでに色々な争いがあり、多大な犠牲の上に成り立っていることを実感しました。遺書等を読んでみて、その当時の人達は、どんな気持ちだったのか想像できませんが、とても苦しくて、つらい気持ちだったんだろうなという事を思いました。
これからも平和が続きますように。

2019年10月8日

現在の繁栄は回天搭乗員を初め多くの戦死者の犠牲の上にあることを、今を生きる私達は覚悟して肝に銘ずる必要がある。後世に伝える努力も必要だ。戦死した彼らの死が無駄でなかった事を我々は責務として感じなければならないと思いました。彼らに恥じない様に自分の出来ることをしたい。

2019年9月30日

同年代の方が国のため、大切な人の為に命をかけた。今の僕達に出来ることは、その想いを受け継いで平和な日本にすることだと思いました。

2019年9月8日

約1年前から「回天」に関する場所を訪ねました。
回天神社にも行き、また八丈島にも行き、昨日は呉にも行きました。
ここに来れたのは、今の日本が平和だからです。平和ってとても大事ですし、これからも私達が守っていかなければ。

2019年8月31日

はずかしいことに30歳近くになり初めて「回天」について知りました。
日本人としてもっと早く知っておくべきことだったと思います。
今日ここに来ることができて、とてもよかったです。
日本のためにありがとう。

2019年8月12日

べんきょうになったので またきてみたいです。
おじいちゃんとおばあちゃんがきてなかったから いえにかえってから、おじいちゃんとおばあちゃんにいってあげたいです。

2019年8月3日

今の気持ちをうまく言葉にできません。
ただ、この事実を戦争のひさんさを、若い人達に伝えつづけて欲しいです。
狭い狭い回天の中で、出撃した青年たちは何を思ったのでしょうか…
平和という今の時代がいかにすばらしいのかを感じました。
”必死”という2文字から伝わるものがあまりに大きかったです。

2019年7月26日

北海道から来ましたが、一度でも来られて良かったです。

2019年6月27日

必ず訪れたいと長らく思っていたが、訪問して心を打たれました。
選択のない時代の若者達の気持ちを察すると心が痛みます。
豊かな現代日本の礎は彼らの献身の賜です。
今日感じたことをこれから忘れずに生涯を過ごそうと思います。

2019年6月20日

トンネルの中に響く波音は、かつての頃と同じなのでしょうか。島に咲くつつじの花は、当時と変わらぬのでしょうか。今、とても静かなこの島が、ほんの70数年前に、今からではとても考えられぬような作戦の最前線だったとはとても思えません。70年以上経った今でも、海は青く澄んでいます。
熱烈な恋文、拝読しました。想い人のお父さんに宛てたその筆致と言葉の力強さ、そしてならんで置かれている想い人から配偶者となった方へ宛てた遺書。なぜこんな事に、とどうしても思ってしまいます。今だ、青い海とただ波音だけが響くトンネルから、70数年前を感じます。

2019年5月2日

子供達、孫達と一緒に来館しました。
令和の時代が平成に続き、戦争のない平和な時代で有りたいと改めて思いました。

2019年5月2日

回天のことは、大分県の日地町大神に数年前、回天モニュメントができて見学に行き、大変胸が痛み、今回こちらに来たので、是非立ち寄りたいと思って来ました。
現在の平和な時代が、このような若い方々のぎせいの上にあることを忘れないようにしないと・・・と思いました。「妻への手紙」とても胸をうたれました。

2019年4月28日

初めて来館しました。今の平和は若くして戦って下さった方々のお陰だと、つくづく感涙にたえません。
今後、戦争の悲惨さを後世に伝えていきます。

2019年4月25日

鹿児島鹿屋基地に続き、こちらを訪ねさせて頂きました。
平成最後の数日、訪れることができ、良かったです。
令和の時代も平和が続き、広がりますように。

2019年3月30日

いつか来てみたかった!絶対に来たかった!
そして今日やっと来ることが出来ました。
今日は天気も良くて海も穏かで…空は青く…
平和であることがいかに大切であるか実感しています。
そしてもう数日で平成も終わりです。
来るべき新しい時代も争いの無い平和な時代が続く事を祈って帰路につきます

2019年2月17日

観光のようにおとずれることを躊躇していましたが、来ることができて良かったと思っています。遺された物を見ていると、そこに、その時、彼らが確かに生きて存在したんだと素直に感じます。
笑顔で写真におさまった青年達のその顔だけを取り出して、頭に、衣装に、今現在のヘアスタイルと流行の服を想像の中で合わせてみました。とてもとても身近で、平凡で素晴らしい皆さんが浮かび上がりました。今に生きる私達や若者と、何もかわらないですね。時代が違うだけで。
人類は進化しなければなりません。同じつらいことは経験しないように。
ここに導いてくださってありがとうございました。

2019年1月26日

人間の命を失わせることを前提とした兵器が運用されてしまうような事態になった事に怒りと悲しみを覚えました。今後もこの資料群を大切に保管していて欲しいです。

2019年1月18日

現在の平和な社会に感謝すると共に、この平和な日本がいつまでも続く様、努力しないとならないと強く思いました。

2018年12月25日

平和の中で生きられることを当然と思わず、1日1日を大切に過ごしていこうと思いました。

2018年11月17日

「僕たち現代の日本人が知らなければならない歴史だ」と、ここに来て痛いほど感じました。写真だって残っていない人もたくさんいる、かざってある写真の中にぽつぽつと白紙のがくぶちがあるのを見て、心がいたくなります。母も僕も弟もここに来てから口数が減ってしまい、、母は目がうるんでいます。ここ日本から、戦争の悲惨さが世界に伝わり、平和な世の中になるように僕らの世代ががんばります。
安らかにねむって下さい。

2018年11月2日

以前、中学一年の頃に来まして、今回で二回目です。以前はよくわからずお兄さん方が亡くなったんだなあと軽い気持ちでした。今、子を育て、孫が生まれ…今日は涙です。
ありがとうございました。

2018年11月2日

涙があふれました。
手紙を書いている若者を思うと、胸が痛みます。
人類がみな、幸福に生活できる世界になりますように。

2018年10月21日

山口にずっと住んでいたのですが、ここには初めてきました。
二度とこんな悲しいことが起こらないように、この事実が風化しないように、今私にできることは、新しい時代を担う子どもたちに伝えていくことだと思いました。教職をしている身として、子どもたちに教えたいと強く感じました。

2018年9月27日

回天に乗った人たちの、苦しさや辛さがよく伝わって来ました。平和であること。それが大切で、わすれてはいけないこと。むねにきざんでおきたいと思います。

2018年9月16日

初めて来館しました。二十歳前後の若者たちがどんな思いで回天にのっていったのか想像もつかない恐ろしさと悲しさに胸が痛みます。多くの人に見てもらいたいです。

2018年8月21日

戦争を遠い昔の歴史の一部と思っていたが、最近は自分と同じように生まれ、色々なことを感じ、生きてきた人の歴史と近く考えられるようになった。繰り返してほしくない。しかし、大きな波に、どう向かえばよいのか。もっと一人一人が知って、考えないといけないのだろうけど、今を過ごすことにいっぱいになっている。今の子供が幸せに暮らせるのを願いたい。

2018年8月14日

父が生前、回天の話をよく聞かせてくれ、今回初めて記念館を訪れました。父の想いとともに、しっかりと勉強して帰りたいと思います。また、子供が生まれましたら、再び訪れたいと思います。

2018年8月13日

若い命がうばわれた現実は変えられませんが、これからはこのような事のない世界に変えられるはずです。そのために、私たちに何ができるか考え行動してまいります。

2018年7月15日

舞台「たからモノ」を昨日観ました。目をそむけてはいけない過去があると改めて思いました。多くのことを学ばせていただきました。

2018年7月15日

今日初めてここのことを知ったのですが、戦争のことを忘れてはいけないと感じとることができました。肉声を聞いたときは本当に心苦しかったです。うまく言葉にできなくてもうしわけないですが、二度とこんな争いが行われないよう願っています。とても貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

2018年6月11日

光市に生まれ育って48年。この歳で初めてこのような場所があることを知りました。子供の頃に学校で教えてもらわなかった気がします。
大人になってやっと真の平和を考えることが増えました。
もっともっと、これからの平和のために、この「回天」のことが、日本に知られると良いなと感じました。

2018年6月9日

学校では習わなかった「回天」という言葉を、徳山出身の父が生前、口にしていたのを思い出してやってきました。
まずは”知ること”が歴史理解への第一歩だと感じます。 埼玉県

2018年5月3日

社会の授業で色々と戦争の事は学んでも、実際に現地に訪れたら、色濃く生々しい事が感じられたので、絶対に風化させてはならない。

2018年5月1日

主人の父がこの場所にいたのかも?生きているうちに、もっともっと話を聞きたかった‼
あまり戦争にふれる話はしませんでした。今思えばとても残念です。

2018年4月29日

高校生の時、数学の先生が海軍兵学校出身の先生でした。先生のお話を思い起こしながら館内を見ています。
今年社会人になった息子と同じ年齢の隊員の方達の写真は、お父様、お母様の思いを考えると本当につらく、戦争の持つ悲しさを改めて考えさせられました。

2018年4月1日

じいじにつれられ回天記念館にきました。
すごいわかさでしんでしまうとはすごいかなしいことですね。わたしがもしこの戦争にいたらたえきれないでしょう。これからも平和をいのります。

2018年3月25日

今を大切に生きたいと思いました。ありがとうございました。

2018年3月25日

私の祖母も原爆投下の日に広島にいました。戦争は二度としてはいけないということを教師という立場から主張し続けていきます。

2018年2月24日

彼女と来ました。先人達の意思を次の世代、そしてまた次の世代へと、受け継いでいかなければならないことを、改めて実感しました。

2018年2月17日

祖父の見ていた風景を一度見てみたくて来ました。出撃を翌日に終戦となり生きながらえたと話していました。ここに来て何故祖父が回天について多くを話そうとしなかったのかが分かりました。友人が多く亡くなったと話していました。重たいです。
けどこれて本当に良かったです。残してくれてありがとうございます。

2018年1月29日

今回ここに来たきっかけは、祖母が来たくても来れないので、かわりに来させて頂きました。手紙や葉書、遺書を見ると心がとても痛いです。今日は、ここに来れてよかったです。今日のことは忘れず、平和のことを深く考える必要があると思いました。
19歳。

2018年1月28日

せんそうがない平和な世界になりますように。10才。

2018年1月7日

広島から来ました。平和な世に生きていることにもっと感謝をしなければならないと思いました。
子供たちにもしっかり伝えていきます。
ありがとうございました。

2018年1月4日

多くの人々がなくなったら、とてもかなしいことですね。
いのちはだいじにしないといけないことがわかったです。
ここにははじめてきました。
とてもいいべんきょうになりました。
きてよかったと、こころからおもっています。
大阪からきた9才(女子)

2017年12月24日

初めて来ました。子供の頃、東京の靖国神社のそばで暮らしていたので「戦争」の意識は物心ついた時からありました。叉、5年前他界した父も戦争に行っており、よく戦時中の話を聞きました。
今まで国内外の色々な戦跡や記念館をおとずれてまいりましたが、いつも「戦争はいやだ!」という気持ちが強くわきおこってきます。彼らの死を決して無駄にはせず平和な日本、世界を強く望みます。

2017年12月3日

みんな若い歳で(17から20くらい)亡くなったのがよく分かり、命を失った人が多くて、びっくりしました。このようなことが二度と起きないよう平和を願ってます。このことを通して戦争のこわさを自主勉ノートに書いて、みんなに教えてあげたいです。亡くなった人に祈ってやすらかに天国でねむってほしいです。ここで色々なことを知り勉強になりました。ありがとうございます。

2017年12月1日

日頃自分が感謝を忘れていることを気付かされます。
ここには、妻への感謝、両親への感謝が溢れています。
手紙の中で弟に宛てたもので「兄のかたきをうってくれ、勉強をしっかりし、親に孝行することが、かたきうちだ」とありました。彼はどんな未来を考えていたのか、私は「かたきうち」ができているのか、考えさせられます。

2017年11月11日

回天の乗員が残した肉声をテレビで聞いて、この島のことを知りました。おだやかな海で行われていた訓練、今も残るコンクリートの建物やトンネルが静かに教えてくれるようです。遺影の写真の中には、高校を出たばかりのような顔も見うけられ、生きていればもっとたくさんの日々が生きられたんだろうなと思いました。
どうぞ安らかにお休みください。日本のこれからを見守ってください。

2017年11月5日

回天記念館を命がけで作られた毛利さんの熱い想いに胸がうたれました。後世に語りつなげていかなければならない、絶対に。

2017年10月29日

台風接近の雨の中、やっと渡ってきました。以前は台風で来られなかった。
来てみてわかることもあります。多くの人々に、見て、感じて欲しいです。
こんなに、人々や郷や国を大切に思っていた若者がいたんですね。
人は何のために生きるか考えさせられますね。ありがとうございました。

2017年10月24日

何のための、誰のための命なのか…と問わずにいられません。しかし、当時の若者がどのような思いで国と自分と向き合ってこられたかを考えると、今の暮らし、日本があるのも彼らのおかげかもしれません。
これからの生活の中で「なぜ生きるのか?」ではなく「どういう生きかたをするか?」を自分に問いながら生きたい。そして、この悲劇を後世へ伝えていかなければならないと思いました。

2017年9月22日

学校では習わないことが色々知れました。平和なことがあたりまえだと思わず、強く生きていきたいと思いました。
あまり年が変わらない方々も戦争に行っていて、自分が勉強したくないなどと言っていることが恥ずかしくなりました。
これからは頑張って強く生きたいです。

2017年8月27日

江田島、知覧、万世、鹿屋、陸奥記念館と経てようやくこちらを訪問できました。たくさん戦争著書を読み勉強してきたつもりでしたが、初めて知る事実も多かったです。戦死を美談にするつもりはありませんが、自分の命を捧げると決意しても、怖さや悲しみ、ためらいの思いが本当はあったことに安心したのも本音です。
当時の遺品を目にすると、母親目線で見てしまい涙が止まりません。
どうか戦争をくり返さない世の中が続きますように・・・

2017年8月17日

本日初めて来させて頂きました。20歳程の若い青年が国の為に命をかけて、そして犠牲となり亡くなっていった。未だ世界では、争いごとが続いており、それがいつなくなるかと考えると心が痛いです。私は小学校教諭として働いていますが、戦争の事実を知らないながらも子どもたちにきちんと伝えていけるよう、今日のことも伝えていければと思いました。

2017年8月17日

親せきと来ました。回天に乗った人は死をおそれていなかったようですが、ぼくならとてもこわく思います。
これから「世界大戦」とよばれるほどの戦争やテロなどもなくなり、世界中の人が安心してくらせる世の中になればと思います。

2017年8月6日

神奈川より来ました。知識不足で回天ということばすら知りませんでした。いつまでも平和であることを祈るだけではなく、きちんと考えていかなければならないと思いました。

2017年7月29日

「ちいさな親切」でボランティアで来ました。
当時のことや人間魚雷を見て感じることができ、改めて戦争について考えることができました。
実際に使っていた物や服、血染めの手ぬぐいなど、目の当たりにして感動しました。
これからも回天のことを忘れずに、語り継いでいきたいと思います。

2017年7月23日

我が子と同じ歳の子ばかりが、日本のために勝利を信じて命をささげる・・・。
なんて時代・・・。
もし、自分の息子が命令されて・・・。考えるだけで無理。
みな誰もが嫌と言えない心情を思うと、今の時代がある事を、本当に幸せだと思うべき。
小さなケンカでもめてるのが、バカらしく思えます。
大人たちがしっかりしなきゃです!

2017年7月1日

初めて訪れました。
只々守りたい人がいる一心で回天に乗り込んでいったのではないかと思いました。
愛国心とかではなく、すべての人に訪れてもらい、何かを感じてもらいたいです。

2017年6月13日

今を大切に生きようと思いました。
平和な日々が続きますように…。

2017年6月10日

自分と同じ歳で、特攻に行かれた方達は、どんな思いだったのだろう。
18歳まだこれからと言うとき、お国のためにと自分はできないと思う。
そのときの時代背景をもう一度勉強していこうと思う。

2017年5月30日

初めて来館させて頂きましたが、改めて命の大切さを知ることができました。
今、生きてることを当たり前だと思わず、毎日、大切に生きていきたいです。ありがとうございました。

2017年5月23日

同じ年代の人たちと考えると心が痛い。
今を全力で生きようと決心した。

2017年5月23日

家族ができたらまた来ます。

2017年5月5日

息子より若い人たちが、ここで命をかけていた事、そういう時代があったことを今の人たちがしっかりと受けとめて、同じ事をくり返さない様にと願います。

2017年5月3日

昨年11月の追悼式以来の来館です。緑が美しい季節になりました。一日一日、一瞬一瞬を大切にしていきたいものです。

2017年4月7日

ぼくが思ったのは、なぜこれだけの人が死ななければいけないのかということです。
国のためにといっても人の命は一つしかない、その一つの命を使って国のために行ったのはすごいことだなと思いました。
ぼくには、国のために特こうしていくことは考えられません。
国のためにしてくれた人たちに感謝します。ぼくは広島県出身なので戦争のことについて色々勉強しました。この平和な世の中を大切に生きていきたいです。

2017年4月3日

多くの方が日本のために自分の命をかけて志願していったことが、心に強く残ります。
何を思って回天に搭乗したのか、守るべきもの、守りたいもののために、その思いや考えを私たちも忘れてはならないことだと思いました。
昔、記念館に来た時とは、また別の感情がわいてきました。もっともっと多くの方に記念館を訪れてもらい、そして、知ってもらいたいと思いました。

 

 

周南市回天記念館
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