ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

記念館トップ > 周南市回天記念館来館帳(2024年度)

周南市回天記念館来館帳(2024年度)

印刷用ページを表示する更新日:2025年4月1日更新 <外部リンク>

こちらでは、来館くださったお客様の感想や、ご意見などを抜粋して紹介させていただいているページです。
皆さんの来館しての感想や、ご意見をお待ちしております。

来館者の皆さんからの感想(2024年度)

2025年3月29日

浜松から来ました。恥ずかしながら、回天のことを全く知らず、先月、とある朗読劇で とり上げられていたのをきっかけに 訪れました。自分よりも若いみなさんが 命をかけて国を守ってくださっていたのと同時に、手紙や動画などから現代の我々と変わらないような営みが あったのだなと思うと より胸がしめつけられました。2度と同じ悲劇をくり返してはいけないと強く思いました。

2025年3月27日

家族できました。子どもが小学校を卒業した記念旅行を 戦争にまつわる場所を選び、子どもとともに 学んできました。
長女の時は 沖縄、次女の時は 広島、呉。ここで回天のこと知りました。ずっと来たいと思っていたところ 三女が 卒業旅行に再度広島を選んでくれたため、少し 足をのばし こちらに来ることができました。
長女は 20才となり 同世代の若者が経験した 戦争を我が事のように 涙しています。
三女は、旅行のため 事前に学び、映画 出口のない海 も見て こちらに来ました。
母として いろいろ 思います。子どもが 自分より 先立つ事、また、そんな時代だったという事。
家族を、祖国を守るため、生きる事、死ぬ事を整理して 生活し、そして 突撃したんだなと。
思いは複雑です。
でも、ここに来れてよかったです。

2025年3月21日

以前より気になっていた地です
戦時中 家族・地域、ひいては国を思い考え行動頂いたおかげで、現在があると思います
平和な社会、世界になって欲しいと思います
そうなる様 人にやさしい人になりたいと思います

2025年3月1日

先人のみなさま方に 心から敬意と感謝を持たせていただきました。
私達が日々過ごしている日常が当り前ではないと改めて感じました。
この当り前の日常(平和)を私たちが守っていかなきゃいけません。
こんな感想と日本国を命で守ろうとして下さった英霊のみなさんに哀悼の真をささげたいと思いました。

2025年2月13日

家族3人で来館、若くして亡くなられた方々の一葉一葉に思いを馳せながら 見てまわりました。今ある あたり前をあたり前と思わず 生活していくことが 大切と思いました。

ありがとうございました。

2025年2月13日

去年5月、広島の被爆者の祖父の体験記を書いて知覧平和スピーチコンテストに応募し、一般の部にて入選致しました。その件を慶應義塾大学の先輩にお話ししたところ、塚本太郎さんの記事を教えてもらいました。

記事にあった大学の准教授に連絡を取り、塚本太郎さんの弟さん、悠策さんに会わせていただきました(24年8月)。悠策さんから色々とお話を伺った後、准教授から、他にも4名の慶應出身者(今西太一さん、渡辺幸三さん、田中二郎さん、十川一さん)が回天で亡くなられたと伺いました。京都の今西太一さんのご実家はおはぎやさんとのことで、ご遺族の方に連絡を取り、24年10月に京都に行き、残されたお手紙を見せてもらい、お墓参りもし、お話も伺いました。

塚本さんと今西さんのご遺族から直接お話を伺ったこともあり、必ず訪れなければと思っておりました。

今日は2歳児をベビーカーにのせて参りました。

こちらの資料館を知人にも紹介したいと思います。

今後、平和教育を主軸にした起業も考えております。

命をかけて祖国を守ろうとした青年たちの思いを未来に伝えたいですし、2歳の息子が戦争に出征するような未来は作ってはならない、「平和な日本」を守っていかなければならないと かたく決意致しました。

どうもありがとうございました。

2025年1月12日

回天の事を知り、この記念館に訪れることができて よかったです。
今の平和な日本が存在するのは、日本のために戦ってくれた方々がいてくれたからこそと改めて感じました。まだ若い未来ある青年達が笑顔で日本のために出撃していく写真を見て、胸がつまりました。戦争のことを忘れては いけないと実感しました。
この記念館を ずっと守っていってほしいと思いました。また、改めて映画等 製作したり、TVで流したりすればいいなあ と思いました。現代の若者にも 昔の若者のような強い心を伝えてほしいです。

2025年1月13日

回天を見て、「日本を守りたい。」や「大切な人を守りたい。」という気持ちで行かれたことを知りました。私は今小6で4月から中1になります。回天のことも学んでいくと思います。その時は、ここに来たことを思い出して学んだこと生かせたらいいなと感じます。そして、つっこんで行く人の最後のメッセージを聞いたのですが、最後は「さよなら!」と元気に言ってました。私はぜったいにむりだろうと思います。最後に元気でいうも一つの優しさだと思いました。

2024年12月16日

高3の春休み、「出口のない海」を読み、それ以来ずっと来たかった場所にようやく来られました。遺書に共通しているのは、「愛」「感謝」そして時折ちらつく「後悔」。

国、ひいては世界の平和のために貢献したい気持ちと、個人としての幸せ。後者を優先しづらかった時代に苦しめられた、若者の生き様に敬服すると同時に、感謝の気持ちと涙が止まりませんでした。

大切な人がいる今、彼女を後に残して殉ずることを想像したら、本当に胸が苦しかったです。「誠を以って一貫す」自分の生き方、日々の仕事、人との向き合い方 全てを見直して、皆さんに恥じないよう生きていこうと思いました。

いつか子供ができたら、また必ず連れてきます。

2024年12月15日

広島に訪れた時に回天を知り一度訪れたいと思っておりました。
私の息子達の年頃の方々が日本・愛する人達を守る為に自分の命をかけられた事の心情を思うと心がくるしく 言葉がありません。世界中で、まだ戦争起こっており 大切な命がうしなわれている現実に心が痛みます。
世界の平和を祈ります。日本国をお守り下さった皆様事を忘れません。
皆様のおかげで いつまでも平和な日本でありますように。安らかに。

2024年12月14日

戦争のあった時、どんな思いでこの道を歩かれたのか…と
回天の訓練場へ 足をはこびました。ぎゅっと胸がつまりました。
この展示場で写真を見ると もう涙がとまりませんでした。
毎日あたり前に暖かい布団から起き、朝食をとり 仕事ができ
友人と酒をくみかわし… こんなあたり前がこの方たちにはできなかった時間かと思うと本当に辛い。

18才の方…まだまだ子供。母 父のもとで 色々話したかったでしょう。
恋もして勉強も思いっきりしたかったでしょう。
本当に、戦争なんてやってほしくない。
子供たちの命を国力に使ってほしくない。
どうかどうかこの先も ずっと平和が続きますように。

2024年11月30日

亡くなった方の顔を見ると皆幼く若く見える。

ちょうど私と同じくらいの歳で胸がとても痛くなる。

どんな想いで回天に乗り、どんな想いで出撃したのか。

この事を何年経っても忘れず語り次いでいき、

平和な世の中を作っていきたい。

安らかに御眠りください。

私たちが平和を守っていきます。

二度と戦争は行いません。

2024年11月30日

2回目となる今日。

平和の尊さがより身に染みました

自分でもできることから

また気持ちを新たにやってみようと思います。

お国のために戦って下さったすべてのみなさまに感謝です。

2024年10月28日

広島から来ました。特攻という戦術。今から思えば どうにかならなかったのかとつらい気持ちですが、志願された未来ある若者が日本をすくうためと 命をかけて戦っていかれた思いは、大切に後世に伝えてほしいと思います。二度とこういう戦争は嫌です。回天の事実をこれからも伝えてほしいと思います。ありがとうございます。

2024年10月5日

I have travelled from Australia. This is a very good museum. Beautiful work.

Thank you.

2024年10月4日

胸が苦しく、恐しい気持ちになりました。
大切に想う人への遺書を読み、涙が出てきました。
自分とそう変わらない年齢の方々がこのような戦い方をしていたことが信じられません。
平和な日々に感謝しなくてはならないと思いました。
戦争以外に人間が抱える問題もなくなってほしいです。
やさしい人間になれるよう生きてみたいと思います。
周りにいてくれる人を大切にします。

2024年9月14日

福島から広島に引越しをしてから、戦争について考える事が増えました。広島に来てから回天記念館があると知り、いつか行きたいと…ずっと地図をながめておりました。
3連休の今日、ついに決めて訪れました。
(実は台風もあったので今日の朝までなやんでいたのですが…)
来れて良かったです。私よりずっとずっと若い方たちが戦死されたと思うと辛いです。もっとやりたかったこと、たくさんあったでしょうに。
平和のありがたさを感じました。
ここの場はずっと残してこれからも若い方たちに見てほしいです。
ありがとうございました。

2024年9月9日

今、平和に暮らせていることに感謝します。

世界で起きている戦争が一刻も早く終わりますように。
戦争で命を燃やされた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2024年8月23日

今の私の子供より若い方々が、国や家族・大事な人を守るため、その命を懸けて守ろうとされた強い思いに胸がしめつけられます。

戦争の美化ではなく、ここに示された方々の思いを伝えていくことが大事です。

この方々の思いがあって今の日本があるのですから。

2024年8月15日

たった20余年の人生で ここまで“大人”にならなければならなかったのか。戦争の背景や回天にまつわる事実をうけ、遺書のことばの重みが増し、涙がでました。

終戦記念日である今日、この地で「平和の尊さ」を学ぶことができ 本当によかったです。

2024年7月30日

宮城県から来ました。

平和は大事

でも日本を思う気持ちこそが大事であると気付かされました。

2024年7月26日

小説、「出口のない海」を読み、初めて回天の存在を知りました。

自分と同じくらいの若者が、愛する人、祖国を守るために、命を懸けていたという事実。「必死の兵器なんて、非人道的だ。だめだ。」で終わらせてはいけない、終わらせられないと感じました。確かにこの兵器は、決して良いとは言えないけど、関わる人全てに守りたい思いや強い信念、覚悟があること、そういったことにも目を向け、残していくべき事実だと改めて感じました。自分も、今ある毎日の小さな幸せをかみしめ、生きていきたいです。来れて良かった。

2024年6月29日

多くの尊い命の上に今の日本がある事を忘れてはならない。

そして、伝え続けて行かねばならない。

東京都62歳

2024年6月18日

長いこと山口に住んでいますが「来よう、来よう」と思っていて中々機会もなく、今日は足が向き思い切って訪ねてみました。塚本さんの肉声は動画でも観たことはありましたが、改めて今自分達は平和の中に生きていられること、そして自由があること、当たり前ではないなと思いました。まずは日々の中で自分が周りの方への思いやり、温かい気持ちを忘れないでいたいです。

山口県41歳

2024年5月27日

岐阜から来ました。小学生の頃から訪れたいと思っていた大津島、時間はかかってしまいましたがようやく訪れることが出来て良かったと改めて感じました。多くの人がこの事を知って欲しい。

後世に語り継いでいきます。英霊の皆様、安らかに。

2024年5月6日

私は学校で特攻隊の本を読んだことがあり、特攻について興味を持ちました。
私自身陸軍と海軍があったことは知っていましたが、読んだ本が陸軍の話であったため、「回天」という言葉は聞いたことがなかったので、興味深かったです。

もし私が戦争の時代に男として生まれて、回天や特攻機に乗れと言われたら、いくらお国のためだからと言っても多分乗ることができない。戦争で家族や友達が殺されたとしても、覚悟を決め切るのは難しいと思う。
だからこそ私は戦時中の方々を尊敬する。文書の文字や言葉が読めなかったので、それの訳をのせたらもっと興味を持てると思いました。ありがとうございました。長文失礼しました。

2024年4月7日

先日18歳になった娘と来館しました。娘と変わらない年齢の隊員の方々の写真を見ているだけで胸の詰まる思いです。

日本を想う若者たちが、若くして死ななければいけないのか・・・。

同じことを繰り返さないように、生きたいと改めておもいました。

来館して本当によかったです。命の有難さを痛感します。全てのことに感謝です。

どうぞ安らかに・・・。

                                  周南市

過去の来館帳

周南市回天記念館
定休日:水曜休館
Tel・Fax:0834-85-2310
〒745-0057 周南市大津島1960

文化振興課(文化振興担当)
Tel:0834-22-8622 Fax:0834-22-8428
〒745-8655 周南市岐山通1-1
E-mail:bunka@city.shunan.lg.jp