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「周南市文化会館」周辺のストーリー

印刷用ページを表示する更新日:2025年4月25日更新 <外部リンク>

徳山藩邸

現在、周南市文化会館がある場所は、江戸時代に藩主をつとめた徳山毛利家の居館(藩邸)がありました。徳山毛利家は、毛利元就の孫、輝元の次男である就隆を祖とします。就隆は、はじめ下松に居館を構えましたが、慶安3(1650)年、野上村にこれを移して地名を徳山と改め城下町を整備して藩制の基礎を築きました。明治以降も昭和20(1945)年の徳山空襲による焼失まで毛利邸は同所にありました。

毛利邸

毛利邸

毛利邸

徳山公園

毛利邸に隣接する徳山公園は、昭和3(1928)年に有志により設立された徳山保勝会が、祐綏神社を軸に観光客を誘致して町の繁栄を助け市民の遊園地とすることをめざして整備を始めました。 その後、昭和10(1935)年からは、市が管理する公園となり、後に海軍練炭製造所を誘致した初代町長・野村恒造像や日本曹達工業(株)を創業した岩井勝次郎の記念碑なども建てられました。
市民には桜の名所として親しまれ、夫婦池など多くの市民が訪れる憩いの場所でした。

徳山公園祐綏神社
徳山公園徳山公園
徳山公園 野村恒三除幕式

徳山市営毛利球場

昭和20(1945)年7月の空襲の際、毛利邸は焼失しましたが、その門は戦災を免れました。昭和23年(1948)年、毛利邸跡は整備されて毛利球場となりましたが、門は活かされて球場の門として親しまれました。

毛利邸門
毛利球場 毛利球場

徳山動物園

昭和35(1960)年、徳山公園内に「地域の教育・文化の向上に努めるとともに観光の一助とし、ひいては市民レクレーションの場」とすることを目的として、徳山動物園が整備されました。

徳山動物園 徳山動物園

モウリプラザ

毛利球場の廃止後、昭和46(1971)年からは、ボウリング場やレストランなどの商業施設である「モウリプラザ」が開業されました。また、この建物を引き継ぎ昭和50(1975)年からは動物園の展示館となりました。

モウリプラザ

周南市文化会館

その後、昭和55(1980)年から市民文化振興の拠点として周南市文化会館の建設が始まりました。昭和57(1982)年に白い外壁と銅板葺き屋根が景観と調和した建物が完成し、現在に至ります。

文化会館