周南市市長公舎は、大正15(1926)年に海軍燃料廠の廠長官舎として建設されました。昭和20(1945)年、旧徳山市は二度にわたる空襲により市街地の約8割を焼失しましたが、この廠長官舎は焼失を免れました。終戦後、この建物は他の軍関係資産と同様に大蔵省の管理に移されましたが、昭和21(1946)年に旧徳山市が大蔵省から一時使用の許可を得て市長公舎として使用を始めました。その後、昭和25(1950)年に大蔵省から払い下げを受け、以降、歴代市長が公舎としました。
建物の構造は、木造瓦葺平屋建で、敷地の正面に洋風の門とロータリーが設けられ、表側に「洋館」、その後方に「和館」が続いています。大正時代を象徴する典型的な建築スタイルである和洋折衷様式が特徴です。「洋館」は、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、「和館」は、「造形の規範となっているもの」として評価を受け、いずれも平成20年に国の登録有形文化財となりました。