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徳山大仏

印刷用ページを表示する更新日:2025年4月1日更新 <外部リンク>
徳山大仏

飯島町の本正寺境内の徳山大仏は、平和大仏ともいわれています。徳山在住の石工、伊ヶ崎貞助・正助父子の作で、鎌倉大仏を参考に設計したといわれ、昭和18(1943)年に、西船町(現在の築港町)に造立されました。
昭和20(1945)年7月の徳山市街地空襲で被災し、大仏脇にあった防空壕に避難した人々も命を落としました。
終戦から9年たった昭和29(1954)年に、現在地(飯島町、本正寺境内)に移転、補修し、開眼供養を行いました。
現在も、大仏の頭部には空襲時の爆弾の痕跡が残っており、台座の下には、徳山空襲の死亡者、人間魚雷「回天」の戦死者などの名簿が納められています。