戦後80年を契機に、周南市の当時の人々の暮らしや街の様子などの貴重な歴史・文化を記録し、未来に向けて後世に伝えていくため、「戦時下・なつかしの古写真」を募集しています。お寄せいただいた古写真の一部を、エピソードとともに紹介します。
「戦時下・なつかしの古写真」の募集については、こちらをご覧ください。

「警察大島駐在所の新築落成記念写真」

「地元青年の出征時の写真」

「亡くなった父の遺品で、写真に添えられた父のメモ書きによると昭和26年10月頃小沢町付近で撮影されたお祭りの写真と思われます。右端に映る電柱に「徳山記念病院」の表記があり、同所から平和通りを撮ったものと推察されます。」

「上記と同じ日に撮られたと思われる写真です。

「写真が趣味の亡き父が撮影したものです。
銀座通りの風景です。多田陶器店の看板が見えます。」

「富田中学校の運動会の風景。テントには富田尋常小学校とありますが、当時はなかったと思います。背景は仙島。」

「福川の人は室尾か新田の海岸沿いか、福川漁港の波止場で泳いでいたようです。父は亡くなっているので本当のところはわかりません。
私が子供の頃(昭和30年代後半から40年代前半)にはここで泳いでいた記憶はありませんが。」

「近鉄松下百貨店やニチイ徳山ショッピングデパートなど、大型店が軒を並べて、週末には人であふれていました。パチンコ店や飲食店、産業祭のパレードなど、楽しい思い出がよみがえります。」

「平和大橋の横にあった第一産業(現エディオン)には、よく家電を買いに行きました。宣伝用の垂れ幕がかけられていて、車も沢山行き来し、バスが時間通り到着できず、大変でした。」

「両側に様々な商店が営業していて、とても活気がありました。平日の昼でも人が行きかう様子が、今では隔世の感があります。」